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#2020 明日

北海道歌旅座コンサートスケジュール


アルプス一万尺〜♪
幼い頃、よく友達と手遊びしながら遊んどりました。
「子ヤギの上でアルペン踊りをさあ踊りましょう♪」
大人になってから「それ違うよ」と教えられるシリーズの
定番。
私も後から知ったタイプです。
正しくは「小槍の上で」

更に、今回初めて知ったこと。この歌のアルプスは
ヨーロッパにあるものだとばかり思っていたら、
日本アルプスのことでした。
「小槍」は何かというと、槍ヶ岳の本峰にの横にそびえる
岩峰のことで、2~3人立てるスペースがあるそうな。
狭い…。相当気を付けて踊らなければ落ちてしまいますね。

原曲はアメリカの民謡で、独立戦争時「Yankee Doodle(ヤンキードゥードゥル)」
という題名の愛国歌として歌われていた曲。
それに日本の歌詞をつけたのが私たちになじみのある「アルプス一万尺」
となったそうです。
作者は不明ですが、今から数十年前の大衆登山ブームのときに山岳会や
大学のクラブの人たちが山の辛さや楽しさを歌詞にしたためて山小屋などで
盛んに歌われたのではという一説がありました。
歌っているうちに歌詞が増えて、29番目までできてしまったそうですよ。
歌詞を全部見てみると、片思いをする男性の恋心なんかも出てきたりして。
山と恋!青春ですね。

さてさて、突然なぜにこの歌が出てきたかというと
今年はコロナ渦によりコンサートもなくなり、時間にも
余裕ができたので、山を登ってきました。
思いがけずもらった時間は、体に良いことを ♪
なんて軽はずみな気持ちで挑んだものの、その道は過酷でした。

登る時にはきっつい坂道に負けないため、心の中で「ロッキーのテーマ」を
歌いながらひたすら前に進むことだけを考えて足を上げる。
その時の顔なんて見れたもんじゃありません。
しかしながら、山の頂近くまで到達するとそんな疲れも吹っ飛ぶほどの充実感に
包まれました。
残念ながらまだ雪が残っていて山頂まで行くことができなかったのですが
次回リベンジするとしましょう。
そしてアルプス1万尺を目指す。その1万尺は、全国市町村に歌を
届ける道に繋がっているはず。
8月からコンサートを再開できそうです。9月からは関西ツアーが待って
います。詳細はまた後日。
ひとつひとつ噛みしめながら挑んでいこうと思います。
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今日は友達の15回目の命日。今頃どこにいるのやら。
その子と昔、『オーバーオールの会』というのを
作り、10人くらいオーバーオールを着たヤツラが
集まり呑みあかす、という妙なことをやっていた
ことがあります。最近懐かしくなってしまって
43歳にもなって着てみたりしてるんですが、思い出
が胸いっぱいにこみあげてきて涙が出そうになります。
酔っ払った勢いで、当時の友人に電話して話をすると
まぁた涙が出てしまう。困ったもんです。

テネシーワルツ。
パティ・ペイジが歌っていたこの曲は、確か
『大好きな人が自分の友人と楽しくダンスを
踊っている』状況を悲しんでいる歌だったと記憶
しています。(きっと奪われたのでしょう)
私がこの曲に出会ったのは江利チエミさんの歌う
日本語ヴァージョンでした。

『男女がダンスを踊る』ことが当たり前だった時代。
日本だって、スナックに行けば頬を寄せ合う
『チークダンス』だのルンバだジルバだとクルクル
回っていたのだから。私の記憶では、20年前くらい
に姿を消していったでしょうか。
大好きな人が他の人と踊り、二人だけにしか聞こえ
ない声で会話をする…むぅ…嫉妬もするでしょうね。

公演の時は必ず歌ってきたこの曲。
実は私の心の中に浮かぶのは友達だったりします。
『別れたあの子よ 今はいずこ 呼べど帰らない』
この歌詞が友を思い出させるのです。
この11年間、約1200公演で
『面影しのんで今宵も歌う
うるわしき テネシーワルツ』は私の中の鎮魂歌
になっていきました。

アンケートに、この曲を聞いて涙が出ましたと
書いてくださる方がとても多くいます。
形は違えど、皆さんの大切な方を思い浮かべながら
決して忘れることのない思い出に身を預けて
もらえていたのならこんなに嬉しいことは
ありません。

余談ですが、このコロ期間に全国の皆さんから
沢山お手紙をいただきました。
文字から想いが伝わってくるこの感じは
生のコンサートを届ける時の感覚と少し似ている
気がします。胸にジワっとくるんです。
本当にありがとうございます。

アジトの傍で、玉のような花を見つけました。
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よく見ると、小さな花が集合してひとつの大きな花
になっている。
今回お送りした『北の暦文集』のように、
全国の皆さんの想いが集まりひとつになると
美しい花が咲くのだなと、これまたしみじみと
涙が一粒。
早く、お会いしたいですね。
なにせ私達は、生きているんですから。





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さあ、この6月もクライマックスを迎え、まもなく7月へ。 

そして、7月1日(水)は北海道歌旅座JUNCOこと、
吉田淳子が贈るCDシングル「星の河を渡ろう」の発売日!

CD「星の河を渡ろう」


ロックバンド・LOOKのメンバーでチープ広石の盟友、
千沢仁が作曲、同じく元LOOKの山本はるきちが編曲を施し、
北海道歌旅座のJUNCOこと、吉田淳子が歌い上げました。
ブックタイプのジャケット表面に描かれたイラストは、
おなじみ吉田利一。同じく中面の写真は我らが飯塚達央

もちろん、高杉奈梨子のヴァイオリンも存分にお楽しみいただける、
精鋭たちによる渾身の作品です。

ここで、CD「星の河を渡ろう」のプロモーション映像を
急遽製作しましたのでご覧ください:



現在、ご予約を受け付けています。
こちらの「時には昔の話を」特設ショップからどうぞ。
販売価格500円(税込)、郵便でお届けいたします。


今後も、北海道歌旅座をよろしくお願い申し上げます!




 
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時は1970年代初頭。
子供たち誰もが口ずさんだ人気の歌がありました。
昭和を代表する赤塚不二夫のアニメ「天才バカボン」や、
ヒーロー番組「ウルトラマン・エース」の中にも登場するほど。
そして現在も販売されているロングセラー商品の殺虫剤「キンチョール」。 
当時のテレビCMソングだったのが、この曲。
平田隆夫とセルスターズの『ハチのムサシは死んだのさ』。
他に選択肢がないピッタリなタイトル、この年72年には紅白歌合戦にも登場し
老若男女に知れ渡ったに違いありません。

キャッチーなメロディに、ある意味分かりやすい直球な歌詞。
子供の頃にテレビで見た光景を想いだす方もいらっしゃると思います。

初めて知ったのは歌旅座のレパートリーに追加された時でした。
聴いた印象はその歌詞とメロディのギャップでコミカルな曲なんだと。
しかしその軽快な雰囲気とは裏腹に違う意味があるというを知りました。
何を歌ったものなのか…
ハチのムサシは『学生運動家』お日様は『巨大な権力』。
自由と夢を掲げた学生が国という大きな権力に焼かれてしまうという
当時の学生運動の挫折を映し出しているとの声も。

この曲を歌旅座流にアレンジして、平成「昭和ノスタルジア」版として復活。
オリジナルのダンスの振り付けはJUNCOが担当。
私ダルはこの頃、サーモンズの前身「昭和みちくさファイブ」の1人として
ステージで踊っていました。ダルだけに汗ダルマだった日々、思い出すなァ~。
コンサートでは第1部のメドレー中盤にあり1番ハードな振り付けで我らの体力の鬼門的1曲。
ちなみに奈梨子さんもバイオリンを置き、手をぶるんぶるん一緒に踊っていた珍しい曲でもありました。
会場は手作りのハチの羽をつけ一緒に踊るコアなお客様も現れるエキサイティングな
空間となりました。

それではステージ映像で使われていた人気曲「はちのムサシは死んだのさ」。
CDの特典DVDとして収録されている動画をどうぞ!

 恥ずかしながらこの映像で踊っている、太っちょムサシ。ボクです、、、
 撮影時は振りを間違えては、カメラアングルを変え、
何テイクも踊っているうちに足もつるし、汗でゴーグルが曇って視界ゼロ。
しかし撮影を終えてみると、無事に終わったという爽快感と達成感がいっぱいだったこと
は忘れられません。

当初は太郎さんがこの衣装を着て客席から登場する演出が一時ありましたが、
突然の出来事にお客さんが戸惑い誰も直視しない、という事態に陥りやむなく
お蔵入りとなりました。
その後はこの衣装を着てステージで踊った事も。
今ではさらなる激太りのため衣装が着れなくなりましたが、どこかで登場することがあるかも⁉です。

2015年の東京・渋谷公会堂での公演の際は、なんと本家本元「平田隆夫とセルスターズ」
のボーカル&ギターの菊谷英二さんが来場してくれるというサプライズが。
帰りのロビーで「ハチのムサシ見に来たけど、良かったよ~」とお声をかけてくれました。
残念ながら、今年4月訃報をニュースで知りました。
この場をかりて、ご冥福をお祈り致します。

ボクにとっても色々な意味で「昭和ノスタルジア」代表曲の「ハチのムサシ~」。
これからも大切な1曲として心の中にずっと。。。


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渋谷公会堂の歴史は昭和39年東京オリンピックの重量挙げ競技会場として
始まった。翌年からはコンサートホールとして開業した後、有名なアーティストの
聖地と呼ばれる場所となった。
そして「8時だョ ! 全員集合」などテレビ番組の公開放送の会場としても
使用され多くの人に親しまれる。
平成21年には「音響家が選ぶ優良ホール100選」に選出された。
収容人数2084人。(1階 1235席、2階 849席)
愛称は「渋公」

2015年、オープンから50年を経て、老朽化のため取り壊しが決まります。
閉館に伴い数日間にわたって開催された「さようなら渋谷公会堂」シリーズ。
数々の著名なアーティストが名を連ねる中、出演者の一組になんと北海道歌旅座が
選ばれました。
演目は昭和の懐かしのうたを集めたおなじみの「昭和ノスタルジア」
昭和から平成に至るまで時代の変遷を見守り続けてきたこの建物に最高の
敬意を表しました。

初めてマックを食べたのが二十歳というくらい田舎育ちのわっちですので
東京での、しかも有名なホールでの公演というのは少々そわそわしたものです。
しかし、それ以上にたくさんの人たちの特別な想いがこの公演には込められていました。
下の写真は当時のチラシです。
”昭和。それは~” から始まるメッセージはコンサートの冒頭で大きなスクリーンに
映し出され、それだけで客席の涙を誘っていたと思います。
コンサートの様子や先ほど書いた「たくさんの人たちの特別な想い」は
時間のある時に当時のブログを読んでみてください。
(写真をクリックすると2015年のブログにリンクします。
2015年9月17日~9月26日の間、6回にわたり渋公物語が語られています。右側にあるカレンダーの日付をクリックしていくと、2話目、3話目とご覧いただけます。)

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さて今日の曲は【君をのせて】
ジュリーこと沢田研二さんがザ・タイガース、PYGを経てソロになった時の
初作品です。
幼い頃から母に昭和のうたをよく聴かせてもらっていましたが、初めて
聴いたのはJUNCOさんが歌ったものでした。
調べてみると、関係者が期待するほど売れなかったとのこと…。
なんて残念な。
そんなに言葉が多いわけではないけれど、やさぐれそうになりつつも
人生の海を渡る青春感が伝わって、いつも舞台袖で良い曲だな~と
思って聴いてました。

「さようなら渋谷公会堂」シリーズのラストは沢田研二さんが飾ったそうです。
タイガース時代や「8時だョ ! 全員集合」の収録など人気のテレビ番組の
収録に参加。ソロになってからも毎年  年明コンサートを開催し、最も多く
渋公のステージに立った人と言われています。

実は渋公ステージでこの曲を歌ったんです。
今日は特別にその時の様子をアップしちゃいます。


ひとつの時代が終わりまた新たな時代が築かれる。
渋公が取り壊された4年後、そこには生まれ変わった渋公が完成しました。
LINE CUBE SHIBUYAという名の新しいコンサートホールです。
きっとここでまた数々の歴史が生まれることでしょう。
歌旅座もまたその1ページに名を刻むことができる日が来ますように。



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