全国共通コンサート入場券
#2020 明日

北海道歌旅座コンサートスケジュール


お待たせしました。

本日
5月31日の日曜日、13:30より
歌旅座テレビ「ナリコ・バースデイ・ライブ」後編の配信です。

ご好評いただいた前編に引き続き、
高杉奈梨子を筆頭に、JUNCO、ザ・サーモンズが登場。
さらに、奈梨子による初披露の演奏曲もお聴きいただけますよ。

5分前13:25からカウントダウン映像が表示され、
13:30本配信へと続きます。


前編同様、後編も配信映像の保管(アーカイブ)もしますので、
上記の時間に見逃した方にも後日ご覧いただけます


スマートフォン、タブレット、パソコンで、
あるいはネットに接続されたテレビで
YouTubeの歌旅座テレビにアクセスを。

ご覧になったご感想は歌旅座Facebookにお寄せください。



それでは、後編歌旅座テレビ「ナリコ・バースデイ・ライブ」
どうぞお楽しみに!

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 ↑この画像をクリックして、YouTube歌旅座テレビにアクセスできます。





 
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どうなるかわからぬコロナ禍。ボケーっとばかりもしていられず
"でめんさん"(農家のお手伝いさんをこう呼んでいる)をやることにしました。

ところは当別町。3世代で田んぼを耕す素敵な稲作農家に出会いました。
家族構成は大旦那と大女将、その息子夫婦。
その子供達が5人 !
今どき珍しい大家族です。

みんなナチュラルな人たちで、コロナの憂鬱な気持ちも
紛れました。
すごいなぁと感心したのは、上は大学生、下は幼稚園の
子供たちが入れ代わり立ち代わり畑を手伝いに来ること。
いちいち何やるかにやるなんてことを言われなくても勝手に手が動いている。
ちゃんと習慣に刻まれているんですね。
末っ子のちっさい体を一生懸命動かして、兄ちゃん姉ちゃん
について仕事をしている姿は微笑ましかったなぁ。
私も農家の娘ではありますが、子供達のあまりの働きの良さに
しばし反省してしまいました。
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下の写真は田植えの様子。
父ちゃんの両脇に娘二人が乗っかって、キャッキャ、キャッキャ言いながら
仲良く仕事をしています。父ちゃん嬉しいね。
その様子を見た大旦那が「親冥利につきるな!!」と一言。
ホントにその通り。でも、息子さんが家業を継いで、その子供たちも
しっかり仕事してるんだから、これまた「爺ちゃん冥利につきる!」ってもんです。20200527_135446_531
毎年来ているという”でめんさん”仲間は手慣れた様子でちゃっちゃか稲を植える。
(機械で植えきれなかった場所は手で植えるらしい)
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朝の10時と15時は毎回休憩時間があります。実家もそうだった。
この時間設定は全国共通なんですかね?
この休憩時間がまた楽しい。子供達がいると、あんなことがあった
こんなことがあった、お小遣いアップの交渉などなど話題は尽きません。
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私の父があるときボソッと言ったことがありました。
「自分の子供と一緒に暮らして、農家やることが当たり前と思っていたなぁ」と。
きっと父もこんなひと時を夢見ていたんだろうな。

さておき、何かがつくられていくという課程を見守り続けていけることは
元気の源になりました。
ハウスを建て、土を作り、作業に必要な段取りを整えておく。
そうしてやっと種を植え、目が生えて、大地に根付かせることができる。
収穫されたモノたちが「美味しい ! 」と人々の食卓で称賛されることを
願います。そして、その美味しさが受け継がれていく事を更に願っちゃいますね。

歌旅座もこれにまた同じ。
良いものを作り、継承していきたいと思います。
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私達がアジトの会議用テーブルで晩酌する時、
BOSSはその時に合ったBGMを流してくれます。
いつの日だったかは憶えていないけれど、みんなが
一瞬会話をやめ聞き入った曲があった。
『カッコイイ!!』
そして、その曲を作った人はなんと元LOOKの
メンバー『千沢仁』さんだった。
バンドを解散した後、作曲家として活動していた時
のもの。こう言っては失礼だけれど、知らなかった。
けれど、サビのなんとも切ないコード進行は
『千沢節』と言っていいほどドラマティックなもの
だった。
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数日後、ピアノで弾き語りしたものを録ってみる。
そしてそれを元に『アレンジ』という作業に入る
のだが、BOSSはそのアレンジをなんと、これまた
元LOOKのメンバー『山本はるきち』さんにお願い
したのであります。
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はるきちさんは超多忙なのにも関わらず、はやぶさ
のようなスピードで仕上げてくれました。
曲に花が咲き、風が吹き、鳥が舞い、地球そのもの
の命の輝きが詰まったような世界がそこに広がって
いました。
そして、千沢さんへの愛情も。

送っていただいた譜面には…
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グッときてしまった。

35年前、一緒にステージに立っていた二人が
今、時を越えて繋がったのだ。音楽で。
二人の名前が並ぶことを、誰が想像しただろう。
チープさんは遠いところへ行ってしまったけれど
志を受け継いだ私やNARIKOの音色を重ねること
を、きっとすごい喜んでくれているに違いない。
ね、チープさん。

『過去は未来になる』そう思った。
自分が生きている『今』は未来なのだ。
『過去を積み重ねて生きている』という表現
よりも、『未来を積み重ねて生きている』
というほうがなぜか、命の輝きが増すように
感じる。

そう思わせてくれる今回のレコーディング。
BOSSが昔、『宝箱をひっくり返したような音楽』
を求め生きていたその感覚が、この曲にも
吹き込まれたような、そんな気がしてならない。
宝箱をひっくり返したことのある大先輩たちから、
とても大切なものをいただいてしまった。
本当に有難くて涙が出る。

私達は、『未来を生きている』

皆さんのところに届く日を、
待っててくださいね。
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ついに、本日5月24日の日曜日、13:30より
歌旅座テレビ「ナリコ・バースデイ・ライブ」の配信です。

当日に生誕日を迎えるナリコのヴァイオリンによる本邦初演奏の楽曲、
待ちに待ったJUNCOの歌声に、ザ・サーモンズの揃い踏み。
歌旅座のコンサートを渇望していた皆様へ、
映像を通じて初めて歌旅座と出会ってくれる皆様へ捧げます。

さらに、新情報をお伝えしましょう。
この「ナリコ・バースデイ・ライブ」
5月31日の日曜、同じく13:30後編
お届けできることになりました!
本日5月24日が前編、翌週5月31日は後編の2本立てです。


その上、ご希望が多かった、配信映像の保管(アーカイブ)も実現、
上記の時間に見逃した方にも後日ご覧いただけるようにいたします。
このため、当初はリアルタイムの生配信を予定していましたが、
収録後の配信とさせていただきました。ご了承ください。


スマートフォン、タブレット、パソコンで、
あるいはネットに接続されたテレビで
YouTubeの歌旅座テレビにアクセスを。

ご覧になったご感想は歌旅座Facebookにお寄せいただくと幸いです。
ご好評だったら、次もあるかも。


それでは、前編と後編の歌旅座テレビ「ナリコ・バースデイ・ライブ」
どうぞお楽しみに!

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ブランドのロゴが入ったきらびやかなバックよりも、革で物持ちが良く
長く使えば使うほど味の出てくるものの方が好きだ。
二十歳くらいの頃だったか、母にねだって譲ってもらったボストンバック。
今でも大事に使っている。
この歌旅を始めた当初は、まだ何週間も続くような旅はなかったから
よくこのバックを使っていた。
BOSSは初めてこのバックをみた時、一目で気に入ったらしい。
「いい味出してるねぇ。あぁ上野駅ってかんじだね」
以来、「あぁ」という愛称でメンバーからも愛されている。
「おい ちえ!”あぁ”持ったか?」「今日も”あぁ””いいねぇ~」てな具合で。
それがきっかけで「あぁ上野駅」という曲を知ることになった。
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高度経済成長期、地方の中学を卒業したばかりの少年少女たちは大都市の
企業や店舗に集団で就職した。
昭和30年代には15歳から24歳までの東京都の人口が一挙に100万人近く
も急増するほどの人口大移動が起きたそうだ。
そのほとんどは子弟の多い一家の家計を支えるためだったり、進学するほどの
経済的余裕がなかったりとやむを得ない理由だ。

多くの集団就職列車の終着駅は上野駅だった。
当時、そこには地方から集まった就職者と出迎えの人などで人が
溢れかえっていたという。
現代の上野駅には「あぁ上野駅」の歌碑があり、その時代を知る多くの人々が
当時の思い出や故郷を偲びにやって来るそうだ。
まさに歌詞にもある通りの”心の駅”である。
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幼い頃から父と母の卒業アルバムをよく見ていたのだが、いつも思っていた。
顔が大人っぽい。自分が中学に入った時の姿と、両親のアルバムに載っている
同世代の人たちの目つきがまるで違った。
それはきっと背負うものが違ったのだろう。
自分のケツはは自分で拭かねばならぬという一種の覚悟を

無意識に感じながら生きていたのかな、と大人になって感じた。
正直、私なんてあまっちょろく生きてきたから、目つき あまあまです。
当時の発言集。

「お母さん、今日の晩ご飯なにぃ~?えぇ~ ‼ 肉が良い~ ‼カレーが良い~ ‼ 」
「えぇ?芋ほりすんの?やだ。疲れる。」
「どっか連れってって。」
ほらね。ナメてます。
便利なもの、与えてもらうことが当たり前の価値観。
すべての物事にははじまりがあり、創り上げられてきたものなのだということを
感じることに随分時間がかかってしまったな。

母は15歳という若さで親元を離れ、愛知に集団就職した。
この写真は少年だが、こんな感じで母も”あぁ”を片手に、一人知らない
土地を歩いていたのだと思うと、尊敬の念が込みあがる。
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YouTubeでこの曲を調べると再生回数が400万回を超えるものがあった。
「昭和35年の春、私たちの乗る集団就職列車が上野駅に到着したのは
まだ星がうっすらと見える明け方でした」
森光子さんの朗読から始まる。
コメント欄には曲を聴いた人たち各々のエピソードや想いがしたためられていた。

こうして何十年もその人たちの思い出とともに残り続ける昭和の歌。
少しでもそこに寄り添えるよう、ひとつひとつ大切に歌っていきたい。
(写真をクリックすると動画をご覧いただけます)

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