北海道歌旅座コンサートスケジュール

歌旅座テレビ


平成30年。今年も色んな街を訪れ、初めての人・食
に出会い、北海道とはまた味わいの違う景色を
心に刻んできた。
初めての街は少々『浮かれ』てしまうのか、酒が進み、
今ここで人生の旅をしている喜びに浸ったりして。
ベッドから起き上がれない程の二日酔いの朝でも
ホテルの朝食のサラダとタマゴを口に押し込み、
次なる街へと走った。
みんなが繋いでくれたこの2018年、10年目のRUN。
足を軽くもつれさせながらも、仲間と共に走れたこと
改めて、最高に嬉しく思います。

最近、オリジナル曲を歌う機会が少し増えて
旅が始まった頃を思い出しながら あの頃とはまた
違った気持ちで曲に向かう自分がいます。
そんな中、オイラとチエの間で チープにぃの物真似を
するのが流行っていて、『この曲をチープさんが歌ったら』
というシリーズをひとしきりやって盛り上がった後、
『…会いたいなぁ~~…』『会いたいねぇ~…』と
妙に寂しくなる始末。
チープにぃはチエが歌旅座に入ったことを知らない。
驚くだろうか。いや、驚かないな。
きっと、一緒に麻雀して、『おめぇもまだまだよのぉ』と
コテンパンにやってただろうな。

チープさん、もうすぐ5年が経つんですね。
ダルは吐血してるし、AREEは血液ドロドロ、司会太郎は
五十肩で花吹雪もうまく散らせないし、オイラは腰痛だし、
チエは酒弱いし、NARIKOはもうすぐ40だし、BOSSは
どんどん酒強くなってるし…ホント大変です。
だけど、足をひきずりながら東京から札幌に来て、
最後の最後まで 苦しいだとかツライだとか痛いだとか
言うことなく、ただひたすらに生き様を残し切ったあの
チープにぃの『気』を思えば、まだまだ私達はやれると
魂を振るい立たせてます。
靴も入らない程むくんだチープにぃの足を思い出す度、
今最大限に自分がなにを出来るのかを考えさせられる。
『チープさんにとって生きることとはなんですか?』
という質問をした人がいる。
しばらく悩んだ後に答えたチープさん。

『生きるとは、「生きようともがく」ことだ』と。
限りある命と向き合い、どう必死こいてくか。という
すごくシンプルでなかなか難しい生き方を
教えてくれた。
会場いっぱいに響くチエのパーカッションの音色を
聞きながら、これは間違いなく命の音だよな~と
思ったりして。
きっとそばでチープにぃもセッションしてるに
違いない。中途半端なこったぁしちゃいけないぜ。
2019年。まだ私達には出来ることがいっぱいありそうだ。
楽しみしかありません。
来年も、生きて生きて生きまくるぞ~~~っ!

最後に。
今年見た張り紙の中で、最も印象に残ったものを。


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とあるコンビニのトイレ内にて。
『どなたか特定済み』であるにも関わらず、直接本人に言わず
トイレに張り紙をする真意が不明。
人との会話がなくなってきた現代ならではなんでしょうか。
とても妙です。

良いお年を。

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前回のアリーのバンコク通信ブログ、第1章「エイジアンブルーの誕生」につづき、
お届け致します。


第2章「BARエイジアンブルー&エイジアンブルーTOKYO オープン」

コンセプト通りアジアのリラクゼーション空間は出来上がった。
しかし大切なのはもちろん中身である。
エイジアンブルーのロゴはアジアの洗練と混沌を渦巻きで表現したもの。。
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*当時愛用していた懐かしいマッチ。
店内で流れるBGM。
音楽は日本も含めた東アジア、東南アジア、中央アジアの楽曲を厳選。
これは中国、タイ、ベトナム、チベットとサンプリング音源の旅をしていた
我々ならではの作業。ライブラリーも揃っている。
JBL社製スピーカー〈ハークネス〉から流れる上質な音によりエスニック感漂う
店のオーラを纏った。
そして店舗のスタッフ。
必要なのは、知識とサービス精神のあるバーテンダー。
これだけこだわったバーカウンターが出来たのだから、提供するドリンクも
本格的でなければならない。
ちょうどこの頃、ツテがあるバーテンダーが小樽のホテル・バーにいるという情報が。
前年のバーテンダー・コンテストで日本一に輝いた凄腕らしい。
20代の女性だ。声を掛けない手はない。
面接の日、小柄で華奢ながらナナハンのバイクに股がってやって来たカッチョいいS嬢
2か月後、彼女はオリジナルカクテルをひっさげエイジアンブルーのカウンターに立っていた。これからは彼女が店長となりオープンまで一挙に動き出す。
そして設計時からABチームにいた飲食店は未経験だったスタッフも加わり、
S嬢の厳しい指導でプロになっていった。

『食』の方は、ご存知、北埜うさぎがメニューをプロデュース。
試食を重ね、12種類のお料理からなるコース料理
単衣御膳(ひとえごぜん)~十二の味わい』を完成させた。
このときのうさぎメニュー「コンソメゼリー寄せ」やパイナップル風味の
洋風きんとん」は今でもマルノクライブでも提供されることも。
オープン前。
「1ヶ月は取引先と社員の家族を招待しよう」
プレオープンは売上無しのBOSSの心意気。
同時にこれがスタッフのトレーニングにもなった。
北海道の各地から社員の親御さんたちも連日来店。
オープン前の、最期の招待客はこの店を施工した大工さんと設備屋さんたち。
大いに盛り上がったのを覚えている。

ここからBAR・エイジアンブルーは黄金期を迎える。
空間、スタッフ、飲食、を含めて店丸々買取りたいという人が現れたり、
支店を某有名ホテル内にオープンさせないか、というデベロッパーから声も掛けられる
ようにもなった。
試行錯誤しながら、一時はランチ・ディナータイムを設け、<本格中華>なども提供した。
スタッフは入れ替わり、歌旅座メンバーだったPIYOも店長になる。
こだわりのフード・ドリンクはもちろんだが、店の主役はスタッフの女性たちだ。
ユニフォームは、ある時はベトナムにオーダーメイドしたアオザイ、
ある時はシンガポール航空のCAと同じもの。
まるで「エイジアンブルー」という大きな水槽の中を優雅に泳ぐ熱帯魚たちのようであった。
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クラブのような接客をすることは決してないが、
上質なおもてなしのサービスを提供する彼女ら。
オリジナルカクテル『エイジアンブルー』も誕生し、
界隈のハイソな男性客で賑わったのである。

この頃、東京にオフィスがあったDF社。
それじゃ東京にも自分たちで作っちゃおうじゃないかと、再びタイへ飛び資材を購入。
それで出来ちゃったのが、東京・三宿『BARエイジアンブルー・TOKYO』。
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どこから見ても「隠れ家」的な此処、業界のお忍びなどでも使われるアジトのようなバーが完成した。
実は「エイジアンブルー」を作り上げて来れた基本は、80年代、西麻布の伝説のバー経営に携わっていたこともあるBOSSの経験が根底にある。お酒の知識も豊富。
しかしそれだけではなく、「空間」「フード」「ドリンク」「サービス」それぞれ新たにチャレンジ精神を盛り込んだ集大成が「BARエイジアンブルー」であったと思う。

ここで作りあげてきたものが、現在の<円山夜想>、そして<北海道歌旅座>にも
脈々と繋がっていることに疑う余地はない。
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扁桃腺の摘出の手術をしてから、旭川市公演から岩見沢公演まで過ぎました。
各地でお会いした後援会の方々からご心配して頂く声もあり、
沢山声をかけて頂き、誠にありがとうございました。


12月10日退院の前日、病室で術後のブログを書いてからのその後…
翌日の朝に最後の診察があり、無事退院となりその足でオフィスへ。
その日は『メナムの晩餐会』で久々にメンバー全員集合する日、
料理は食べれないが調理を手伝いながら久々の会話を楽しめた。

翌日からは迫る旭川本公演の為の準備に取りかかる。
スタジオに入り、「さぁここから!」というまだ午前中。 
喉の違和感がまだまだ取れず、軽く咳払いをすると「あれ?血の味?」
そんな出血でもなかったが心配になり一応病院へ。
その時点で大事をとって入院を勧められたがお断りし、止血剤を当て止めてもらう。

午後からまたオフィスに戻り、作業再開をして間も無く。
またもや喉の奥の違和感が気になり、またそっと咳払いをしたとたんに吐血。
それからゴポゴポと口の中に血が湧いてくるように大量出血。
またもや病院に逆戻りし緊急に診察へ…

止血剤を当てるぐらいではもうらちが明かない。
次に出てきたのは局部麻酔で電気メスで焼いて止血を試みる。
痛いけどこれ麻酔効いてる?という状態で口内をジュウジュウと焼かれる。
「ダメだ、奥から出血してるから届かない」と、じゃあ今どこ焼いたんだよ!
と言ってやりたいくらいだったが、その時は溢れる血と麻酔で喋る余裕もなかった。

そして最終手段となる全身麻酔をしての緊急手術をする事となった。
規則だから仕方がないのかもしれないが…
血が止まらずティッシュを大量に口に入れてる人に、
「家族に連絡して来てもらえますか?」と電話をさせられ、
全身麻酔と手術の同意書にサインをさせられる。
今この状態で?ここで断る訳ないんだから終わってからでも良くない?
と思うも従わないともうそろ貧血になってしまいそうで、渋々素直に応じる。


病室で目を覚ます。
まるでデジャブのようだが、2回目のせいか貧血か、ダメージは前回より大きかった。
その日は朦朧として声も出せず、看護師さんとも筆談でしか話せず。
翌日に先生から100〜200人に1人あるぐらいの稀な大量出血で、
原因は無く、たまたま剥がれた瘡蓋が剥がれる際に大きい血管を破ったとの事。
手術は3時間近くかかり特殊なガーゼと糸で縫い合わせた事など説明を聞いて、
振り出しに戻ったのだと状況を理解した。

外に出たのは1日だけで、また入院生活に戻ったのである。
しかもまた1週間の入院を宣告されるも、旭川市本公演がもう3日後に迫っていた。
パソコンを持ってきてもらい、ベットで点滴しながらヘッドフォンで作業を進める。
かなりシュールな姿だったが、看護師さん達にはただならぬ状況だと伝わってたみたいだ。
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主治医には公演前日に状況を伝え無理を聞いてもらう形で退院させてもらう事になり、
もしもの時に備えて事前に旭川市立病院にも連絡を入れてくれていた。
さらには歌旅座の元照明担当の倫太郎もめちゃ忙しい中で東京から駆けつけてくれて、
自分の代わりに動いてくれたり、本番中はすぐ後ろに待機してくれていた。

自分はギリギリの状況だが、周りのフォローのおかげで無事に公演を終える事が出来た。
それからはみんなに助けてもらい、そのおかげで安静に出来てる事もあり、
順調に回復をしてたいぶ痛みも無くなってきている。


そして今日は経過を見る為にこれから病院へ。
何も問題なければ今回の手術についてはやっとひと段落となるのだ。
食事もずっっと3週間以上、お粥や煮過ぎたうどん、柔らかいもの限定だったが
治り次第で解禁になる食べ物も沢山あるはずだ。 
ただこの食生活で体重はー6kgになり、血液検査の結果はもの凄い良くなった。
ガンマGTPも中性脂肪も下がり、痛風の尿酸値は基準値を遥かに下回り正常値に。
タバコだって全然止めれそうになかったのに完全に止めれた。
どんどん健康になっているので、食事を取れるようになっても数値が戻らぬよう
維持もしていかなければ…
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第2弾の改造計画は声帯近くのポリープ除去を3月にする予定。
今から健康を得るには時間とお金がかかります…
気長に頑張っていきたいと思います。
 
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今年もやってきましたねークリスマスイブ。
イブといえばそう、であえーるでアエル、
JUNCOとNARIKOのサプライズコンサート。
我ら歌旅座にとっては29日の大納会ライブをのぞけば、
市町村へ訪れる今年最後のコンサートになる。
ということで、メンバーのソウルフードうさぎさんのパワーど注入おにぎり
も今年で最後。特大パワーボールを車内で頂きながら会場入り。
旨いなあ。。今年もずっと堪能させて貰ったなあ。。
米の握り加減、絶妙な具の配合は『オニギリ女王・うさぎ』の称号が相応しい。
うさぎさん、いつもありがとうございます。
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さあ、パワー全開で、岩見沢・であえーるに到着。
会場のひなた広場には、この時期クリスマスツリーが飾られています。
下の写真、よーくご覧ください。
JUNCOがツリーの飾りになっています(リハーサル中)
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今回で連続5回目。
毎年ここでのコンサートを楽しみに来てくれる地元の方もいて、
JUNCO、NARIKOも一緒に楽しみながら歌のプレゼント。
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後半、今年のサプライズは何か⁉
昨年に引き続き、またしてもサーモンズの登場だ。
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「またか。。」じゃなく「待ってました!」と会場も盛り上がり、
クリスマスソングと歌旅座の「ザ・定番ソング」をお届けしました。
白銀の外を眺めながら、中は熱いステージ。
年々盛り上がりを見せている、ここであえーるでのクリスマスコンサート。
ご来場ありがとうございました。
いつもとはちょっと違うコンサートが楽しめるのがこの空間。
来年のクリスマスもここでお会いしましょう。



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メリークリスマス!
昨夜は皆さんご家族や大切な人と盛り上がったことでしょう。
子供たちは起きて枕元のプレゼントに興奮している時間かな…そんな頃が懐かしい。
今となってはご飯を食べに行くにも一人でお店に入りずらい雰囲気の上に、
どこの店も混み合い、味もサービスも低下するのでクリスマスは嫌いです。


この日はお馴染みの町、白老町。
JUNCOソロの小さいコンサートから昭和はもちろん、
殆どの演目を開催し、洋楽ノスタルジアなんてレアな公演も披露している町。
会場となった中央公民館は昭和55年に建てられて以来、
きっと大きな改修工事なども入っていなくほぼ当時のままのようなレトロな会館。

少し厄介なのが、機材やステージの幕も当時のままな事だ。
舞台奥の白い幕(ホリゾント幕)は白というより薄黄色になり、
照明のネジは通常なら手で開け閉めが出来て簡単に移動させれるのが、
古くなり開かず、開けたら閉まらずで少し移動させるのも一つ一つペンチでの作業。


照明の操作というのは最近では統一された規格がある為デジタル信号の線1本繋げば、
自分達が使い慣れてるコントローラーで会場の照明を操作出来るのだが。
しかしここは超アナログなシステムな為、会場備え付けの調光器で操作するしかない。
普段パソコンのように画面を見てボタンを押すだけで出来るパッチという設定も、
あっちこっち、どっちそっちとケーブルを繋ぎまくってやっと設定。

そしてレトロな会館に多いのが音響や照明の調整室が客席後ろ正面ではなく、
フロントサイドという舞台の斜め上の方にある為、死角が出来て舞台全体が見えない。
写真左上の窓がフロントサイドの調整室。
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昔はなぜこのような作りにしたのか考えてしまう。
利点があるとするならば舞台に近いので、何かあればすぐ駆けつけられるというぐらいか。
試しに駆けつけて袖で何枚か写真を撮ってみたら…
不審な動きに気づいたのか、ほとんどの写真チエだけカメラ目線だ。
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レトロな会場は雰囲気がとても良かったりして、悪い事ばかりな訳ではない。
昭和のうたには特にぴったりな事もある。
しかし機材や舞台周りは正直新しい物があるに越したことはないと、
最近の機材はどんなに便利かと切実に思う1日だった。

歌旅座は音響・照明・映像を全て2人だけで操作している為、
利便性、操作性は特に重要なポイントになる。
これからもどんな会場が待っているのか、来年のツアーも楽しみである。
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