ごきげんいかがですか。
司会太郎です。

写真家っていう人たちは、つくづく体力と瞬発力が
必要とされるのだな、と思い入っています。

雪深い林の中や氷点下の凍てつく夜だって、
撮りたいモノがあればズイズイ突き進んで
冷たくなっている写真機を慎重に構えてシズシズとその瞬間を待つ。 
もしかしたら寒くて歯をガチガチさせてるか、
関西弁訛りの独り言をブツブツ呟いて待っているかもしれませんが。

写真家はたいへんな稼業であると、北海道歌旅座と懇意にしている
飯塚達央のブログを読むとあらためてそう思うのです。



今日では、携帯式の電話をもっていたらカメラも携帯していると同じ。
誰しもがカメラマン・カメラウーマンとなる時代。
でも、それらと「写真家」のあいだには、明らかに境界が存在しているはず。
写真家が撮った写真が「作品」として成立するかどうか、
さらにいえば、その作品に「個性」が感じられるかどうか、と思うのです。
ま、えらそーで勝手な思いではありますが。

 
その点、飯塚サンの写真は...。
と、いろいろと書き連ねようと思いましたが、やめておきましょう。
どう捉えるかはその人次第。
司会太郎は飯塚作品のファンのひとりである、ということです。
なんか、油絵を描いていたウチの親父の絵のモチーフと
飯塚サンの被写体が似てるところがあるからかも。
廃屋とか誰もいない風景とか。

そのような彼の作品、昨年のお気に入りをここで紹介させてください。
20160608
(c)Tatsuo Iizuka

カメラの機能やフィルムなど、たしかに作品に仕上げるための手段はあるでしょう。
でも、北海道支笏湖畔で撮ったというこの写真を観たら、そんなことはどうでもよい。
あまりにも静か。あまりにも永遠。超現実主義の絵画のよう。

この写真は、趣味の風景画しか描かなかったウチの親父をなぜか思い出させます。
幼い頃、散歩の途中で、視界にある自然界の見方を教えてくれたこと。
「空は空色だけではない」「雲の端はどうなっているか」「影の伸び方を見てごらん」。
たった1枚が多くのことを語ってくれることもあるんですね。



歌旅座テレビでは、飯塚作品を全編にフィーチャーした
「想秋譜」「白い夜」の映像をご覧いただけます。
JUNCOには悪いけど、一時停止しながらじっくりと
写真を鑑賞するのも興味深いですよ。
すると、写真が静かに語りかけてくるかもしれません。
それは、幻聴ではないので驚かないで。 



それにしても、飯塚サン。
冬の撮影、気をつけてください。
TatsuoIIzuka



それでは、ごきげんよう。