ダルです。
今日から1週間、リレー式ブログでメンバーがそれぞれアップしていきます。
今回のテーマは『昭和』
メンバーそれぞれが昭和に感じている事や思い出を綴っていきます。
まずは最年少の自分からスタートしたいと思います。

昭和60年、北海道の東の果ての釧路郡釧路町
男3人兄弟の三男として生まれました。
父は水産試験場の調査船に乗っており、当直や船が出れば土日も関係ない。
地方公務員とはいえ、あまり家にはいない仕事人間でした。
なので自分達兄弟は子供の時の記憶はほぼ母子家庭のよう。

遊びにも連れて行ってもらえない、運動会などの行事にもいない。
子供の時は公務員はそういう仕事という認識だったので、
子供の頃からなりたくない職業1番は公務員でした。

兄達もそうだったのか、考えてみると3人とも公務員になろうとした事がない。
そんな父も家の事は母に任せ、家庭を顧みず働くザ・昭和の仕事人間だったのだろう。

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自分の昭和は3年だけなので、記憶は乏しいが覚えている事もある。
住んでいた公務員住宅のアパートの4階、母と手をつなぎ毎日階段を上り降りしていた。

母は今でこそただの呑ンベェだが、当時はお菓子なんかも作ってくれていた。
特にアップルパイを焼いている姿が印象に残っている。
それがいつからか、お酒に合うのもばかり作るようになった。

昔も今も歌が好きで、昼間に家事をしながら音楽をかけては歌っていた。
母のカラオケは子供頃からずっと聞いていて、なんとも思わなかったが
大人になってくると、歌がそこそこ上手い事に気がついた。
ただ、めちゃくちゃ『後ノリ』だ…
一緒に歌うと輪唱になってしまいそうなくらい『後ノリ』でやってくる。

釧路公演の打ち上げにて、JUNCOが母となごり雪を一緒に歌ってくれた。
恥かし気もなく一座の前で堂々と歌う母、
他人の振りをしたいくらい勘弁してほしい息子。
あまりの後ノリに驚愕の一座。
それに合わせるJUNCOはさすがプロである。

ある意味では昭和の歌い方なのかもしれない?



あと自分の昭和の風景として知っているのは
家の窓から見た景色、道路を挟んで向こう側にどこまでも釧路湿原が広がっていた。
写真でみるような青々とした湿原ではなく、この写真のような茶色が主な湿原。
今そこは空き地もないくらいの住宅街になっている。
釧路町民ならみんな懐かしい景色だと思う。
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私の感じていた、そんな東の果ての昭和時代。