北海道開拓移民を祖父に持つワッチは
道北の雪深い寒村で生まれた。

家業は農家。
おしゃぶり替わりに大根をしゃぶる
生粋の農家娘だ。
しかし自分のルーツをたどると
実は藤原家の末裔らしい。
これを語るにはちと情報が少なすぎるため
いつかの機会にとっておくとしよう。

私の昭和・・・
生れは昭和59年だから昭和の真っ只中を
生きてきたわけではないが
田舎の小さな部落での生活は
かすかにそのにおいが残っていた気がする。
家の前の道路はまだ舗装されておらず砂利道。
雪解けの時期や雨が降った日は道路が
ぐちゃぐちゃで、よく長靴をはかされていた。

近所の家はたったの4件だけ。
よくおやつをもらいに遊びに行っていた。
お彼岸には「おはぎ作りすぎちゃって」
冬至には「おしるこ作ったから(カボチャ入り)」
旅行帰りには「お土産ね」と
なにかといただきものが多かった。
そのお返しに、母に言われてうちの野菜だの
土産だの、作り過ぎた何かを届けに行っていた。

築30年の我が家には、薪ストーブ、レコードプレイヤー
銭湯にありそうなあんま機、緑色の羽の扇風機
ダイヤル式のチャンネルのついたブラウン管テレビ、
ダイヤル電話、緑色の2層式の洗濯機があった。
風呂にシャワーはなく、浴槽のお湯で
石鹸を流した。
炊飯器なんてものはなく、毎朝母が鉄鍋で
米を炊いていた。
今より不便だが、それが当たり前。
懐かしくあったかい風景だ。
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北海道移民の祖父は私が生れる前に遠い所へ行って
しまったためどんな人か知らない。
父が言うには、口数が少なく、寡黙な人だったとか。
そんな父も寡黙な人だ。
朝早くから夜遅くまで休みなく畑で働き続けた。
その様子を見ながら父の傍らでよく遊んでいた。
ちっさな長靴をはいて畑を走り回り
父の運転するトラクターに乗せてもらい
それに飽きると一つ年上の兄と辺りの草むらを
探検し、小さな小川を飛び越え・・・
外での遊びは尽きない。
私の足腰が誰よりもたくましく育ったのは
このおかげだろう。
(最近の子供の細長く折れそうな足を見ると
心配になってしまう。)
人懐っこい(馴れ馴れしく図々しい)性格は
近所のおじさんおばさんに可愛がってもらったからに
ちがいない。ありがたや。
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私の昭和はほんの一瞬に過ぎないが
思い出すと心がほっこりするもんだ。

いま全国各地で開催している「昭和の歌コンサート」
昭和を生きてきた大先輩たちが「良かった!!」と大喜びで
帰っていくとき、ほっこりなんて言葉じゃ足りないくらいの 
色の濃~い いろんな記憶が蘇っているんだろうな。