昭和54年、札幌生まれ、ナリコです。
私の約十年間の昭和時代の中に、ここ北海道の記憶ほとんどありません。
生まれてすぐ訓子府へ移り、約二年後東京西新井へ引っ越してからは、
シンガポール、千葉と、平成に変わって間もなく再び札幌へ戻るまで、
父の転勤に伴い道外で暮らしていました
 
バイオリンを始めることになったのは、三歳半から六歳までを過ごしたシンガポール時代。
掲示板に「中古の子供用バイオリン売ります」という貼り紙を見つけた母が、
五歳の誕生日にと与えてくれました
暑くて家の床はタイルだったので、練習の時の足裏のひんやりした感覚が思い出されます
 
 
幼稚園は、日本人がひとりもいないところへ通っていました。
遊びで塗って行った赤いマニキュアを注意されたことを覚えているので、
言葉はわかっていたのでしょうが、心細さがなかなか抜けませんでした。
 
好きだった遊びは、スコールの後に水たまりを自転車で突っ切ること
ライチやランブータンがおいしくて
コンビニによくあるアイスクリームの冷凍ケースに入って売られているのを
スコップみたいなのでざくっとすくって買うのです。
のびのび過ごしました。
 
アルバムを見ると、どの土地の写真も人が多く、
各家族の子供達が数十名集まっていたり、という写真が何枚もありました。
幼馴染みはいないけれど、
その時々でよく遊んでいた友達はご両親の顔も思い出せるくらい、
繋がりを持って賑やかに生活していました
今あらためて思えばそれが、両親世代の築いた昭和という時代だったのかなと思います。


私は、住む場所が変わることにあまり抵抗がありません。
それはやはり、この子供の頃の生活がそう思わせるのでしょう。
おそらく生涯変わらない、自分の感覚のひとつを得た、私にとっての昭和時代
 
 
 
先日、喫茶店で隣の席に、おじいさんおばあさんがお仲間同士でいらして、
「勉強していたら働けと怒られたものだ」
「畑まで軽トラックの荷台に乗って通って働いた
「わらで履き物を編んでもらっていた」
と口々におしゃべりしていて、
最後に「お父ちゃんお母ちゃんに伝えたい、今JRタワーの下でお茶飲んでるよ~って!
と笑っていました。
 
今まさに、昭和の空気を感じながら各地の方々と出会いを重ねている日々、
こんな会話には自然と敏感になります
そして、昭和を恐らくは目まぐるしく生きた両親のことをこんなふうに思い出す頃、
私は平成のこの時代を懐かしく思い返すのかもしれない。
 
三つ子の魂なんとやら
三つ子の魂なんとやら…?(おちょこの中は水)