何年か前の話しである。
本州公演から千歳空港に戻ると、吉田後援会長からお誘いがあった。
「帰りにウチに寄って行かないかい」。
みんなでお邪魔し旅の報告を交え、由美夫人の手料理を頂きながら宴もたけなわの頃、
本州公演から千歳空港に戻ると、吉田後援会長からお誘いがあった。
「帰りにウチに寄って行かないかい」。
みんなでお邪魔し旅の報告を交え、由美夫人の手料理を頂きながら宴もたけなわの頃、
吉田会長が嬉しそうに持ってきたのは、古い卒業文集。
「これ、面白いから読んでみて」と、
自身が初めて担任として送り出したという、流山市T中学校の当時の思い出の解説付きで、
卒業生の作文を読んで聞かせてくれたことがあった。
そのときの吉田会長の笑顔をみていて、
「長い教員生活の中でも流山は特別の場所なんだなぁ」と感じたのを覚えている。
ここに1枚の写真がある。
JUNCOが生まれる前の父さん・母さんだ。
由美さんのドレスは、お友達が手作りしてくれたものだとか。
まだ初々しさが残るが、将来を決意した若者2人。
二人の生活と同時に社会人として教員人生をスタートしたのが、ここ千葉県・流山市だった。
9月2日、初めての流山市公演。
先の吉田会長のブログにあったように、そのときの「教え子」の皆さんたちがコンサート
実行委員会を結成。
当時、JUNCOはまだ誕生していなかったが、<48年目の同窓会>は娘が率いる北海道歌旅座公演として実現したのである。
「この日」のために実行委員の皆さんは団結して準備、当日は受付から誘導係まで
責任分担し、1日限りの学校祭のように、当時と重なる思いがあったのではないだろうか。
責任分担し、1日限りの学校祭のように、当時と重なる思いがあったのではないだろうか。
会場の流山生涯学習センターは、一般のお客様も含め大盛況に終わった。
今回、由美さんは残念ながら参加できなかったが、開演ギリギリに到着した吉田会長、
会場の後方でいつもとは違う、落ち着かない様子で居たのを目撃されている。
公演終了後、<吉田先生>を囲む打上げ会に参加させてもらった。
昔話に花が咲くのはもちろんのこと、
教え子の皆さんとの関係が窺える、いくつかのエピソードを耳にした。
(Aさん談)
コンサートで聴いた「虹と雪のバラード」は実は、合唱コンクールで歌った曲。
見事クラスが優勝したとき、吉田先生は優勝カップを取り出し、コーラを注いで、
勝利の美酒さながらに、全員で廻し飲みをした。
(Bさん談)
学校帰り家にすぐ戻らず、教員住宅の新婚吉田家にいつも遊びに行っていた。
JUNCOのお兄ちゃんたちの子守りをするのが嬉しかった。
(Ⅽさん談)
放課後当直室で、こっそり吉田先生と麻雀をするのが楽しみだった(これはマズい?か)
担任初年の「教え子」さんは、すでに還暦を迎えられているが、
当時から兄貴的な先生との付き合いは変わらず続いているのだ。
会の終わり玄関先では、ひとりひとりから吉田会長に「先生、ありがとう。お元気で!」と声をかけている姿は、「古き良き時代」が今によみがえった瞬間、感動的なものだった。
<48年目の同窓会>流山公演はこうして終わった。
それぞれの人生があるものの、吉田会長と教え子の皆さんたちの
「もうひとつの別の広場」として、これからも流山同窓会を続けていって頂きたい。
もちろん歌旅座もご一緒に。
ところで、前述の初々しいお二人。
歌旅座が誕生した、今から8年前の2009年、
第1回公演の夕張市で撮影した『名画座』PVのプロローグ映像『キネマ街道』に登場している。
ちょうど今の「教え子」さんたちと同じ年齢、人生を重ねてきたお二人。
どうぞご覧ください。