「アンジェラ」と言うニックネームで呼ばれてる女性には共通点がある。
長身で目鼻立ちがハッキリして黒縁メガネを着用、
つまりは「アンジェラ・アキ」に似てるということだ。
ジュンコの古くからの友人にもそう呼ばれているイカしたネーチャンがいる。
今日はその娘の話からいつものように脱線してみよう。

夏の頃。
由仁町公演終了後、外で一服してるとアンジェラから紙袋を渡された。
「ナニ?」
「カラフトマメ」
「…」

彼女の祖母は樺太からの引き揚げ者だった。
現在のロシア極東サハリンと呼ばれる樺太には歴史がある。
およそ200年前には探検家、間宮林蔵が樺太が島である事を発見し
注目を集めた。
その100年後、日露戦争を終結させたポーツマス条約で北緯50度以南が
日本に譲与され、40万人の市民が住んでいた南樺太。
更にその40年後、日ソ中立条約を一方的に破棄したソ連軍が侵攻した。
北のひめゆり事件で有名な「樺太の戦い」 である。
ポツダム宣言を受託し玉音放送後に民間人5000人の犠牲者を出す地上戦が
起きた。激動の最中、豆の種を携え北海道に引き揚げてきたのがアンジェラ
のばあちゃん。
北の大地で根付き72年目の傑作がこれである。
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秋晴れの日、恒例の屋上ジンギスカンで焼いてみた。
力強い歯応えと深いコクのある味を堪能した。
実は私の叔母の父親が王子製紙樺太工場に勤務し「樺太の戦い」の犠牲者
でもある。感慨深い樺太豆。
そんな事を思い出させてくれるアンジェラ。
その彼女がプロデュースする公演が明後日開催される。
ノーザンホースパークでのディナーライブ。
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当日、受付には一目で分かるアンジェラがいるはず。
「はーいアンジェラ!」と気軽に声をかけてみてはどうか。
8分の1くらい白系ロシア人の血を引いている風貌が特徴。

台風の影響で1日遅れで訪れたバンコクの街はプミポン国王の葬儀で喪中。
会社も店も休み。
酒も販売禁止である。
そんな日にはプールで潜水していよう。
明日はアリーのバンコク通信で会いましょう。