歌旅座にゆかりのある方々による連載
「特別寄稿シリーズ・第3部」は、まだつづきますよ

今回は北海道北斗市の井村直之さん
ご夫婦いっしょに北海道歌旅座の初期から応援してくれています。
とくに、生前のチープ広石(CHEEP)とウマが合う関係でした。

もちろん、その後も北斗市で
なんとか歌旅座の公演を実現させようと
いつも奔走してくださっています。
歌旅座の財産は、このような思いをもってくれている方々が
全国に存在しているということ。

-------------------------

10年目のRUN
「持続力に、KUSARE縁だ!

 

CHEEPに憧れて!

平成21年の9月。
北斗市総合文化センターでの最初の仕事が、
JUNCO & CHEEPのコンサートの担当でした。
 
彼らのオリジナル曲「悲しいことは数あれど」の言霊が
当時の自分の心を表しているような気がして、
黒地に黄色のロゴ入りTシャツを即購入したことを覚えています。

ただ、あいにく北斗公演ではCHEEPが病欠で、
最初に彼の歌を聴けたのは、2か月後の木古内公演でした。


その後、CHEEPの病魔が明らかになり、
余命の中でのコンサートやブログなど、
力強く生きる彼の生きざまを見るにつけ、聴くにつけ、
常に気になる存在となりました。

最後に彼にあったのは、亡くなる1年ほど前の年末、
東京・高円寺のライブハウスのステージでした。
そこで彼が歌ってくれたのが、この「悲しいことは数あれど」でした。
今でも決して忘れない、我々夫婦の宝物の曲となっています。

そして何かにつけ、
「CHEEPに恥ずかしくない生き方をしているかい?」と
問いかける自分がいます。
たぶんこれからもCHEEPに憧れを抱いて生きていくんだと思います。



JUNCOと親孝行!

平成21年9月。最初の北斗公演は入場券も前売券も無く、
当日のお客様の入りが想定できない、
担当者泣かせのコンサートでした。

客の入りが心配だった担当者は、
サクラに自分の嫁を忍び込ませコンサートを聴かせました。
早くに両親を亡くした嫁は、
JUNCO「重ね日」に衝撃と感銘を受け涙します。

JUNCOの歌をもっとたくさん聴きたいという嫁の願いを叶えるべく、
夫婦でコンサートの追っかけが始まりました。

あれから9年の歳月がたちます。


娘から父に贈られる愛情に溢れた
メッセージソング「重ね日」を聴くたび、
この曲を作った娘は日本一の親父孝行だと思うし、
親父は世界一の幸せな者だと思います。
自分もあと少しで第2の人生を踏み出す年になります。
重ねてきた日々はしようがないから、
重ねていく日々をちゃんと生きなければと思う、今日この頃です。



BOSSに感謝!

平成28年6月、無謀な企画を歌旅座のBOSSに持ち込みます。
それは、偶然見つけた歌詞と楽譜——60年以上も前に
無くなった村が製作した楽曲、「茂別音頭」の復活です。

BOSSはすぐに「やってみよう!」と言ってくれました。
さすがプロ集団の北海道歌旅座でした。
音源も無く、ましてや地元人にも忘れ去られた曲でしたが、
JUNCOのボーカルはもとより、
質の高い「茂別音頭」のCDができあがりました。

そして、平成28年11月、現在の地・茂辺地のコンサートで、
「茂別音頭」はJUNCOの歌で復活したのです。
この曲は今、地域の応援歌として、また運動会やお祭りなどで
再び歌い継がれようとしています。
思えばこのCD1枚が自分の人生や、
過疎で喘いでいる地域を動かそうとしています。
BOSSに感謝! 歌旅座に感謝です!


 

歌旅座とKUSARE縁!
 
オリジナル曲から好きになったので、
自分の思いはオリジナル曲が上で、
昭和の歌は下だと思っていました。

長い間に自信を無くした心、コンサートはこの町では
絶対できないと思い込んでいた人々。
そんな過疎の町で、初めて昭和の歌のコンサートを開催しました。

コンサートを聴いたみんなは嘘じゃなく、
「笑顔・元気・自信・勇気」の何かに満ちて会場からでてきました。
人は、オリジナル曲のメッセージだけでなく、
人に寄り添って生きてきた昭和の歌にもまた、
心を動かされるものだと思いました。
遅まきながら歌旅座がやってきた「歌旅」の意義の大きさを、
改めてわかったような気がします。



10年目のRUN !

それは「持続力」! 

そして「KUSARE縁」!

これからも応援し続けます!



井村直之(いむら・なおゆき)
 北海道歌旅座 後援会員
 北斗市役所 茂辺地支所長
(北海道北斗市 在住)

doshin_NI
2017年10月26日付 北海道新聞・朝刊より