歌旅座にゆかりのある方々からの寄稿をお届けする
「特別寄稿シリーズ・第4部」。
ここで、大崎友美さんの登場です。
ご存知のかたも多いことでしょう、大崎さんは
元・歌旅座メンバーで、通称は「ピヨ」。
現在はザ・サーモンズとして知られる歌旅座のコーラス隊は、
結成当時はみちくさ合唱団やみちくさファイブとして知られ、
彼女はその一員として活躍していました。
さあ、「大崎さん」と呼ぶとしっくりこないピヨによる寄稿。
歌旅座を卒業して幾年月、ピヨは何を思うのか。
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10年目のRUN
初めての方にとっては、聞きなれない「ピヨ」と言う響き。
まずは、そこからご説明しましょう。
名付け親は、北海道歌旅座のBOSS。
理由は、実家が自営業のクリーニング店だったんですが、
札幌を中心に結構な店舗数のある〈ぴよちゃんクリーニング〉からいただきました。
北海道歌旅座に在籍していた約7年間は、全国各地の皆様にも
「ピヨ」の名称で可愛がってもらいました。
本当に多くのステキな方々と出逢った歌の旅を
一緒に走ることができたことは、
私の人生の中でかけがえのない時間として、
想い出の引き出しにしまっていました。
JUNCO & CHEEPのサードアルバムのタイトル曲『標SHIRUBE』。
この曲は作詞・広石正宏(CHEEP広石)、作曲・JUNCOによるもの。
この歌詞が、最近特に心に響いてきます。
CHEEPさんが逝ってしまってから、歌旅座の未来へのバトンは、
しっかりとJUNCOが握ってくれています。
私は、その姿にいつも勇気をもらっていますよー!
大崎ピヨ友美(おおさき・ともみ)
元・北海道歌旅座メンバー
(東京都 在住)
写真タイトル「メルヘンチックおすましピヨ」
撮影=飯塚達央
「特別寄稿シリーズ・第4部」。
ここで、大崎友美さんの登場です。
ご存知のかたも多いことでしょう、大崎さんは
元・歌旅座メンバーで、通称は「ピヨ」。
現在はザ・サーモンズとして知られる歌旅座のコーラス隊は、
結成当時はみちくさ合唱団やみちくさファイブとして知られ、
彼女はその一員として活躍していました。
さあ、「大崎さん」と呼ぶとしっくりこないピヨによる寄稿。
歌旅座を卒業して幾年月、ピヨは何を思うのか。
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10年目のRUN
「心のふるさと、歌旅座」
「この辺で、メンバーを増やしましょう。
知ってる人は知っている!
知ってる人は知っている!
知らない人は、絶対知らない!(笑)」。
コンサート中盤のJUNCOによる紹介で登場する、
コンサート中盤のJUNCOによる紹介で登場する、
毎度お馴染みのみちくさ合唱団兼みちくさファイブのメンバーだった、
元北海道歌旅座のピヨでございます。
元北海道歌旅座のピヨでございます。
ご無沙汰しております皆さん、お元気ですか?
初めての方にとっては、聞きなれない「ピヨ」と言う響き。
まずは、そこからご説明しましょう。
名付け親は、北海道歌旅座のBOSS。
理由は、実家が自営業のクリーニング店だったんですが、
札幌を中心に結構な店舗数のある〈ぴよちゃんクリーニング〉からいただきました。
北海道歌旅座に在籍していた約7年間は、全国各地の皆様にも
「ピヨ」の名称で可愛がってもらいました。
本当に多くのステキな方々と出逢った歌の旅を
一緒に走ることができたことは、
私の人生の中でかけがえのない時間として、
想い出の引き出しにしまっていました。
歌旅座を卒業して4年経つ今も、
つまづいた時や元気をなくしてしまった時、
人生の道に迷った時にその引き出しをスッと開けて、
数々の想い出が私の心を癒し、励まし、明日への一歩へ踏み出すために
背中を押しくれていました。
つまづいた時や元気をなくしてしまった時、
人生の道に迷った時にその引き出しをスッと開けて、
数々の想い出が私の心を癒し、励まし、明日への一歩へ踏み出すために
背中を押しくれていました。
この間、数年ぶりに札幌の実家に帰省したんですが、
その時に、歌旅座にいた頃のスケジュール帳や
記録していたノートを開いて見てたら、
歌旅座で過ごすことができた日々が、さらに鮮明に蘇ってきましたよ。
その時に、歌旅座にいた頃のスケジュール帳や
記録していたノートを開いて見てたら、
歌旅座で過ごすことができた日々が、さらに鮮明に蘇ってきましたよ。
JUNCO & CHEEPの1枚目のアルバム『悲しいことは数あれど』の
レコーディングスケジュールとか、公演ポスターやチケットの
デザイン案などをみると、歌旅座は、全くの「0(ゼロ)」からの
スタートだったのがわかるんです。
BOSSが良くおっしゃっていた「0から1(イチ)を生み出す」
このプロジェクトは、小さな経験のたくさんの0の積み重ねが
いつしか1どころかそれ以上になり、北海道から飛び出して
全国を走り廻っている、壮大なプロジェクトに成長していったんです。
レコーディングスケジュールとか、公演ポスターやチケットの
デザイン案などをみると、歌旅座は、全くの「0(ゼロ)」からの
スタートだったのがわかるんです。
BOSSが良くおっしゃっていた「0から1(イチ)を生み出す」
このプロジェクトは、小さな経験のたくさんの0の積み重ねが
いつしか1どころかそれ以上になり、北海道から飛び出して
全国を走り廻っている、壮大なプロジェクトに成長していったんです。
今思い返せば、結構なハードスケジュールもあり、
ハラハラすることがあったとしても、必ず何とかなってきているのが、
さすが歌旅座です。なんてったって、強運の持ち主の集まりですからね。
ハラハラすることがあったとしても、必ず何とかなってきているのが、
さすが歌旅座です。なんてったって、強運の持ち主の集まりですからね。
家族以上に一緒に時間を過ごしていた歌旅座の仲間たち。
私が離れたあとも変わることなく、走り続けている仲間たちが
気がつくと、もう10年目になるとは……心から、尊敬してます。
私が離れたあとも変わることなく、走り続けている仲間たちが
気がつくと、もう10年目になるとは……心から、尊敬してます。
JUNCO & CHEEPのサードアルバムのタイトル曲『標SHIRUBE』。
この曲は作詞・広石正宏(CHEEP広石)、作曲・JUNCOによるもの。
この歌詞が、最近特に心に響いてきます。
CHEEPさんが逝ってしまってから、歌旅座の未来へのバトンは、
しっかりとJUNCOが握ってくれています。
私は、その姿にいつも勇気をもらっていますよー!
そして、そのJUNCOを支えてくれているチエ、ダル、
有田さん、太郎さん、ナリさん。
いつも見守ってくれているうさぎさん、
歌旅号の舵をとるBOSS、吉田後援会長をはじめ
歌旅ファミリーの皆様が私の「標」であり、
歌旅座の想い出たちは、時が経っても
いつも私の心に住んでくれているんです。
忘れることなんて絶対できない
「心のふるさと」をありがとうございます★
有田さん、太郎さん、ナリさん。
いつも見守ってくれているうさぎさん、
歌旅号の舵をとるBOSS、吉田後援会長をはじめ
歌旅ファミリーの皆様が私の「標」であり、
歌旅座の想い出たちは、時が経っても
いつも私の心に住んでくれているんです。
忘れることなんて絶対できない
「心のふるさと」をありがとうございます★
ずっーとずっーと、応援してますからねー!!
では、また逢う日まで!
ピヨより
大崎ピヨ友美(おおさき・ともみ)
元・北海道歌旅座メンバー
(東京都 在住)
写真タイトル「メルヘンチックおすましピヨ」
撮影=飯塚達央