『オロロン守り唄』という曲を書いたのは 2009年の夏を迎える頃だった。
"何か北海道にちなんだ曲を…"ということで、その少し前に通った
オロロンラインが浮かび、あれこれ調べているうちに 天売島に生息する
ウミガラス "オロロン鳥" に行きつき、そこから離れられなくなった。
以下は その『オロロン守り唄』の発売にあたり作られたパンフレットに
寄せた一文である。

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ー「オロロン守り唄」に寄せてー

「オロローン」と鳴くから、「オロロン鳥」。
そのオロロン鳥が絶滅の危機に瀕しているという。

かつて、その鳴き声は幾重にも重なって、「オロロロ…」と
途切れることなく聞こえたはずだ。
今では、そのひと鳴きでさえ耳に届くことは稀となっている。
そんなオロロン鳥の貴重な卵。
岩棚に直接産みつけられ、回転はしても転がることのない
という、洋梨の形をした不思議な卵。
だが、つがいで行動し、ただひとつ産み落とした卵を守る
オロロン鳥にとって「オロロン卵」は "不思議" などという
無責任な甘い言葉でくくられるものではないはず。
「生きていくこと」「生き抜くこと」「"生"をつなぐこと」。
そのために卵は、卵の時から必死で生きている。
そして、親鳥はその小さな命をさらに必死であたため、
守り、育て、教え、巣立たせる。
削ぎ落してみれば、親としては何と無償で子を愛するものか。
ストレートでシンプルで、何よりも大切なことを、
オロロン鳥とオロロン卵から教わった気がする。

少し前になるが、そう間隔をあけずに両親を見送った。
もうずっと前に巣立ったつもりでいたのに、
その直前には "子" である自分を強く感じていた。
そんな時に生まれたのが、この「オロロン守り唄」。
オロロン鳥に少しだけ思いを重ねることができた私は
かなり倖せなのかもしれない。
(2009年9月 オロロン守り唄発売記念コンサートパンフレットより)
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私の母は 私が小さな頃から就寝前に "おやすみなさい"と言いに行くと
"おやすみ"という一言と共に必ずこうつけ加えて答えてくれた。
"いい夢みなさいね"
あまりにも日常だったので忘れていたこの言葉が 「オロロン」の詞の
制作中に何度も何度も鮮やかに蘇っていた。
親としての一番の務めは、子供をしっかりと巣立たせること。
そして そのために母親は、矛盾して聞こえるかもしれないが
例え悪い夢からでも 子供を守ろうと思うこと。
そんな風に思えて、涙が出て仕方がなかった。

若い頃から 赤を、真紅を好んできた母だったが、晩年は
特に夕焼け色、茜色を好むようになっていた。
病のため 身体が不自由になった母のために 私もそんな色の
セーターやカーディガンを探すようになっていた。

私は 本当に母が好きだったんだな。

母との別れ。
最後の最後の瞬間、病室を染め上げたのは 息を呑むほど美しい
夕陽の色だった。
"ああ、母の大好きな夕焼けが 私の大好きな母を
連れて行っちゃうんだ…"
悲しみの中にポツンと灯った思い。
この思いが、"オロロン守り唄"へと導いてくれたような気がする。

オロロン守り唄 ジャケット


近日中に、「オロロン守り唄」が歌旅座テレビでアップされる。
そこで こうしてあの当時を振り返ってみた。
JUNCOの歌声は この曲がリリースされた時に比べ
より深みが増し、進化、深化している。
LIVEで聴くのが最も楽しみな曲のひとつ。
自分にとっての倖せを再認識させてくれる曲「オロロン守り唄」
のアップを誰よりも楽しみにしている私がいる。