途中11周年を迎えた東北ツアー。
その中でもこの3つの公演はこれからも忘れることができないことだろう。
新型肺炎ウィルスの発生情報が全国各地でどんどん出てきて、
不安を益々煽るマスメディア。
しかしツアーが始まり東北に訪れると町々の皆さんはとても元気。
迎えた2月26日。あの夕張から丸11年。
この日の公演は青森県三沢市。
日本海側は雪がなかったものの
こちら方面の独特なみぞれのような雪の中会場入りをする。
歌旅座にとっては3年半ぶり2度目の公演。
会場に入ると前回は会館の方が相撲部屋なみの特大鍋でカレーを
しこたま振舞ってくれたのを思い出す。
この日は政府による全国的にイベント関係の開催自粛要請が出された日。
すでにいくつか来ていた3月公演の中止の連絡に拍車をかけて、リハ中、
あるいは楽屋でも担当のメンバーへ連絡が入る。
我々にも不安が走る瞬間。
そんな中でも会場には、たくさんの方たちが来場してくれた。
JUNCOの「今日私たちは11周年を迎えました」の言葉には
ほんとうに温かく“圧”のある拍手を頂いた。
歌旅座ではすでにおなじみの町・青森県五戸町へ。
サーモンズが張り切りまくるプログラム(我々がいう通称:ハッチャキ)をお届け。
盛り上がる会場。
自粛ムードの中、我々の公演を心待ちにいてくれたお客さん
のはじける瞬間がたまりません。ありがとうございました。
当日の朝中止が決まる。
すでにホテルを出発するときだった歌旅座。
せっかくだからと会場の下見に訪れてみた。
会場担当者の方も苦渋の選択だったと思われるが再会の約束を。
今回の東北ツアー最終地となる町へ向かう。
岩手県・釜石市。一度は来てみたかったところ。
釜石といえば、製鉄、ラグビー、そして悲しいことながら東日本大震災
ということを連想させる。
まちに入るととてもきれいに区画整理された街並みと建物が並ぶ。
それもそのはず。9年前のあの日から復興して立ち上がったのだから。
会場の釜石市民ホールTETTOは、被災した釜石市民文化会館の代わりに
建てられた、復興プロジェクトのシンボル的なホール。
TETTOは、「鉄の都」とイタリア語の「屋根」をかけたものらしい。
連なり栄えていたところ。すべて津波で壊滅的な被害を受けたという。
ここに町の人たちの想いが集まる<聖地>が新しく出来たのだ。
この日までに3月の公演はすべて中止もしくは延期が決定していた。
それにも関わらず、会館の担当者の方は、
「突然やらないという決定はありえないし、
この日を楽しみにしている人たちの気持ちを裏切ることはできない」
と開催してくれたのだ。
会場のホールには続々と地元の方たちが集まっている。
本番前BOSSが楽屋にやってきて一言。
「超満員だぞ。よろしく」と。
胸に熱いものがこみ上げてくる。
マスクはしているものの今の世間の騒動などまるで感じさせない
釜石の方々。
会館の方もお客さんも、まさに【アイアン釜石】。
コンサートを鉄を打つような熱さで盛り上げてくれました。
歌旅座にとっても、また必ず来たい町。
ありがとうございました。
翌日北海道へも戻るため仙台空港へ向かう。
スケジュールが変わり空いた時間ができたため途中、
宮城・気仙沼の岩井崎へ行ってみた。
海と松林の景色があまりにきれいで心が洗われる。
ここにもあの日津波が押し寄せた。
17mの高さですべての松の木が呑まれたが一本だけ残ったそうだ。
朽ち果てて見えるものもどっしりと根差している。
この松のように、あの日を経験する東北の人たちにとっては、
今回のコロナ騒動などどうってことはないんだろう、、、と
その逞しさを感じさせる。
岬のまだ先端に岩の間から海水が高く上がる通称:「潮吹岩」。
なにやら、そこにたどり着こうとする輩(ヤカラ)が。
【チエちゃんを探せ】
さあ、皆さんもお試しあれ!