渋谷公会堂の歴史は昭和39年東京オリンピックの重量挙げ競技会場として
始まった。翌年からはコンサートホールとして開業した後、有名なアーティストの
聖地と呼ばれる場所となった。
そして「8時だョ ! 全員集合」などテレビ番組の公開放送の会場としても
使用され多くの人に親しまれる。
平成21年には「音響家が選ぶ優良ホール100選」に選出された。
収容人数2084人。(1階 1235席、2階 849席)
愛称は「渋公」

2015年、オープンから50年を経て、老朽化のため取り壊しが決まります。
閉館に伴い数日間にわたって開催された「さようなら渋谷公会堂」シリーズ。
数々の著名なアーティストが名を連ねる中、出演者の一組になんと北海道歌旅座が
選ばれました。
演目は昭和の懐かしのうたを集めたおなじみの「昭和ノスタルジア」
昭和から平成に至るまで時代の変遷を見守り続けてきたこの建物に最高の
敬意を表しました。

初めてマックを食べたのが二十歳というくらい田舎育ちのわっちですので
東京での、しかも有名なホールでの公演というのは少々そわそわしたものです。
しかし、それ以上にたくさんの人たちの特別な想いがこの公演には込められていました。
下の写真は当時のチラシです。
”昭和。それは~” から始まるメッセージはコンサートの冒頭で大きなスクリーンに
映し出され、それだけで客席の涙を誘っていたと思います。
コンサートの様子や先ほど書いた「たくさんの人たちの特別な想い」は
時間のある時に当時のブログを読んでみてください。
(写真をクリックすると2015年のブログにリンクします。
2015年9月17日~9月26日の間、6回にわたり渋公物語が語られています。右側にあるカレンダーの日付をクリックしていくと、2話目、3話目とご覧いただけます。)

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さて今日の曲は【君をのせて】
ジュリーこと沢田研二さんがザ・タイガース、PYGを経てソロになった時の
初作品です。
幼い頃から母に昭和のうたをよく聴かせてもらっていましたが、初めて
聴いたのはJUNCOさんが歌ったものでした。
調べてみると、関係者が期待するほど売れなかったとのこと…。
なんて残念な。
そんなに言葉が多いわけではないけれど、やさぐれそうになりつつも
人生の海を渡る青春感が伝わって、いつも舞台袖で良い曲だな~と
思って聴いてました。

「さようなら渋谷公会堂」シリーズのラストは沢田研二さんが飾ったそうです。
タイガース時代や「8時だョ ! 全員集合」の収録など人気のテレビ番組の
収録に参加。ソロになってからも毎年  年明コンサートを開催し、最も多く
渋公のステージに立った人と言われています。

実は渋公ステージでこの曲を歌ったんです。
今日は特別にその時の様子をアップしちゃいます。


ひとつの時代が終わりまた新たな時代が築かれる。
渋公が取り壊された4年後、そこには生まれ変わった渋公が完成しました。
LINE CUBE SHIBUYAという名の新しいコンサートホールです。
きっとここでまた数々の歴史が生まれることでしょう。
歌旅座もまたその1ページに名を刻むことができる日が来ますように。