ツルツルの道路。
先週オフィスの近所で今年の「初転び」をやらかしました。
膝が痛いです。
北海道内の皆さんお気をつけください。
さて同じ転びでも今回の「人生七転び八起き」は
アリーがまだ20代だった時の四方山話し。
タイに赴任して間もない頃、初めて一人で5日間の出張に出た。
向ったのはバンコクから西へ約100キロほどラチャブリー県のとある町。
街はずれにある日系の食品工場を訪ねると日本人の工場長が出迎えてくれた。
仕事を終え、夜はまちのレストランで美味しいタイ料理をご馳走になった。
明日一年ぶりに帰国すると嬉しそうに話す工場長。
せっかく来たのに、そう明日からこの町にいる日本人はおいら一人になるらしい。
車もないため宿泊先は工場近くにある社宅を使わせてもらうことに。
お湯がでない水だけのシャワー(今はすでに慣れている)、
冷蔵庫がない(今は慣れている)、テレビはあるが映らない(そもそも見ない)、
虫が出る(田舎だと当たり前)
おまけにこの頃はケータイも持っていなかったのでいわゆるライフライン無し。
決していい環境ではなかったが「たった5日間だから」とあきらめて寝ることにした。
夜中、突如目が覚めた。
「ハラガイタイ・・・」
夕食で食べたイカか、慣れない激辛トウガラシのせいかはわからないが、
食アタリである。
この日は一睡もできないまま朝を迎え工場へ向かった。
初日からツイてないな~と思いながら。
朝食とランチは仕事の合間、工場内の食堂で済ませることが出来た。
が、夕飯は宿舎そばの大通りに出る屋台が1軒だけ。
屋台横にはよろず屋のような店があり冷えたビールも売っていた。
タバコと酒を燃料としていたこの頃。小さくガッツポーズ。
「よっしゃ~これなら生きていけるぞ」
屋台に行くと小さな女の子が店番をしていた。
タイ語で「何にしますか?」と聞かれたので「ラーメンちょーだい」と伝えた。
すると女の子が急に大声で叫んだのだ。
「オーイ、お父さーん、この人何言ってるかわかんなーい」と。
くぅぅぅ、おいらのタイ語通じねぇ。
と軽く落ち込む。
オヤジさんが来たので「バーミー(ラーメン)とチャーハンください」というと「オーケー」。
何とか通じてよろず屋で買ったシンハービールを片手にタイの片田舎、
一人屋台メシを喰らう。旨かったが寂しさもあった。
次の日ももちろん連日この屋台へ。
3・4日目になるとオヤジさんと目が合えば黙ってラーメンとチャーハンが出てくる。
実は他の料理が食べたかったのだが、注文の仕方がわからなかった。
*同じラチャブリー県にある水上マーケットでバーミーを食う当時のおいら
最終日の仕事を終え、すっかり常連気分で大通りへ向かうと「えっ‼」
あるはずの屋台がない。おまけによろず屋も閉まっている。
メシはともかくも、とにかく「あー、ビールが飲みたい」。
ビール無くして一日の終わり無し と体が勝手に騒ぎ出し、
2,3km離れたガソリンスタンド(コンビニ隣接)を目指すことに。
照明もない田舎道を懐中電灯を手に歩き出す。
すると前方に蛍光灯の青白いあかりが見えてきた。
「これは食堂に違いない」と勝手に決めつけ敷地へ入っていく。
灯りの中からお婆さんが近づいてきて何か喋ってくるが全く理解できない。
手にはでかい線香のようなものを持っている。
なんだか様子が変だぞ。「えっ!これは、、」
なんとそこはお葬式会場だったのだ。
おいらもビックリだが、お婆さんはもっと驚いたことであろう。
逃げるように民家を後にしコンビニに到着。
ひと安心して買い物を終え帰路へ。
「あ~早くビールっ」と早歩きしていくとすぐそばで
「ウ~~ッ」と地鳴りのような獣の声が近づいてくる。
野犬だ。しかも群れてやがる。一瞬凍りつく。走ったら間違いなく追ってくるだろう。
なるべく脇を見ないようにしばらくソロリソロリと歩きやり過ごす。
作戦は成功、ラッキーなことに犬ヤロウたちは掛かってはこなかった。
かなり疲れた。
あ~あ、日本に帰りたい。人が恋しい。
考えてみると、ここに来てから一度も日本語を話していない。
空を見上げるとタイの水平の三ケ月がおいらを嘲笑っているように見えた。
こうして「食アタリに始まり野犬で終わった5日間」は終わった。
今思うと、このたった5日間の体験はかなり鍛えられた。
ツイていないと思っていたツライ日々の経験が、
人生に置き換えると転じていい出来事になることもあるのだ。
前向きな気持ちがあれば挫けても起き上がれるんじゃないかと。
あれから25年。
当時では考えられなかった日本全国に歌の旅を続けさせてもらっている。
これは人生ツイているというしかない。感謝とともに、
今月迎える12周年をかみしめながら、これからも人生七転び八起き、
勝越しの8勝を目指して前を向いていきたい。