スマホを使い始めたのはいつからだろう?
機械音痴で慣れた操作が変わるのは億劫なほうなので、歌旅座メンバーの中では
後ろから3番目ではなかったかしら。(最後まで粘ったのはジュンコとボスです。)

多くの人が携帯電話を持つようになり、家に電話をかけることは滅多になくなりましたが、
昔は友達や彼氏彼女に連絡するのも家電(いえでん)でしたね。
誰が受話器を取るだろうと息を潜めて呼出音を聞いたり、長電話を怒られたりしながら。

高校の合格発表の日、公衆電話から家にかけたこともよく覚えています。
ギリギリで受けた高校、電話の向こうからは心配していた家族の明るい声。

「その人」にかけているけれど、今思えば当時の電話は、周りの人達も少なからず
巻き込んでのコミュニケーションだったのだなと思います。

もうひとつ思い出すのは、小さな頃、父の仕事の関係で住んでいたシンガポールでのこと。
ある日、国際電話で祖母と話す母が泣いていた。遠く離れた外国で、母の声を聴けば
涙が出る。今ならよくわかります。
もし携帯電話があったなら、裏のバナナ畑にでも出て気づかないうちに話を済ませ、
私がこんなふうに振り返る記憶を持つことはできなかったでしょう。

もっとも、すぐ連絡がつくと思えば、さほど淋しくもなかったかもしれませんが。

このすぐ連絡がつくということで、あまり緊張感がなくなったのが
「待ち合わせ」ではないでしょうか。
約束の時間に着かなければ会えないかもしれない、ということは、
特別な意図がある場合を除いて、ほとんどなくなりました。
なぜなら…
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(メンバーのLINEスタンプを拝借。)
昔は駅に伝言板があったそうですね。
ちょっと遅れてしまって、数分前にそこへ書き込んだあの人を思い浮かべる、
なんだかいいですね。

そんな見えない繋がりを日常で味わう時間に、人としての色気が宿るのでしょうね。
無くならずとも、その時間自体はやはり短くなったのだろうと思います。
手紙の返事を待つ日々や、不在で声が聴けなかった長い夜を思えば、
読んだはずなのに返信がないという、既読機能付きのLINEならではの不安など
受け流せそうなものですが、良くも悪くもしっかり順応している自分がいます。

アナログでもデジタルでも、伝え合うことは、それがどんなことであっても、
大事に思いたい。

旭川公演のアンケート、皆で嬉しく有り難く、読ませていただきました。
ありがとうございました。
しばらく公演はお休みですが、再会を楽しみに、暖かな季節を待ちたいと思います。
みなさまとうぞお元気で!