大阪から移動すること約3時間、最終日は中津川市へ。
これまで蛭子座、中津川文化会館、そして今回は北部の付知(つけち)町のアートピア付知交芸プラザ、有難いことに各所で公演をさせてもらっています。

中津川という地名を聞くと、その世代の方々は中津川フォークジャンボリーを思い起こすそうですね。

1969年から1971年にかけて開催されたという、日本のウッドストックと呼ばれた野外フェスティバル、出演者の記録を見ると、吉田拓郎さん、斉藤哲夫さん、長谷川きよしさんも。
歌旅座で昭和ノスタルジアとしてカバーし、身近に感じられている方達です。
最近晩酌の席でBOSSがかけていた曲、「私たちの望むものは」岡林信康さんの名前もありました。
飾らない言葉の中に込められた思想や心情に触れるたび、詩の奥深さを思う、43歳の私です。

この日、静岡県浜松市から3時間以上かけていらした樋口さんは、メンバーに会うなり開口一番「お客さん入るのかな…?」と不安げにおっしゃっていました。
きっと道中、町の方をひとりも見かけなかったのでしょう。
ところが、珍しく一列目に座ってらした樋口さんも後ろを振り返ってびっくり、客席最後列までお客様がびっしり!
その満席の客席を見てはっとしたのは、入場制限されたコンサート会場の雰囲気が、どこかで見慣れたものになっていたかもしれないな、と。
仕込みが大変な会場で、午前中ずっと走り回っていた舞台監督ケーゴは、コロナ禍に歌旅座へ加入したこともあり「300人超えは初めて!」
思えば、開演直前の舞台袖で「お客さん入ってるよ~」というBOSSの一言を聞くのも、本当に久しぶりのことでした。

中津川の皆さん、明るく温かな一日をありがとうございました。
当たり前になったマスク生活ですが、今度伺う頃には、普通に笑い合い、握手のできる日常が戻っていますように。1667395782985
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