北海道歌旅座コンサートスケジュール

歌旅座テレビ

カテゴリ : ダル

初めて書かせてもらっている長編のこの記事も3日目となりました。
ちゃんと伝えられているのかが心配ではありますが、もう少しお付き合いください。

昨日のお話しで『デモ音源』という曲の原型になるところまでお話ししました。
そしてこれからアレンジ(編曲)の作業となります。

アレンジについての打ち合わせが行われました。
大空町らしい高い空と広い大地のイメージを表現していこう。
JUNCOはメロディーやコード進行を手直ししながら
イントロや間奏がつけられ曲としての構成が出来ていく。
やっと順調に乗ってきた、これで締め切りまで2週間何とか間に合う…完成は近い。
と自分は思っていた。

がしかし、アレンジした曲をBOSSが聴いて、「ダメだね。」
イントロに掴みがない。サビに勢いがない…
このリズムじゃ歌いにくいだろ…
そしてもう1度考えなおし、試行錯誤して手直しをしていく事に。
もうこの頃には自分もJUNCOも締め切りを気にして気が気ではなかった。

イントロのメロディーを直し、歌いやすいリズムに直していく。
ピアノでリズムを刻みながら、どうがいいのか…
これならどうだ、こういうのがいいかと、アレンジを固めるまでにまた数日使ってしまった。

もう残り1週間を切ってから、レコーディングを進めていく。
そしてフルートのレコーディングの時、BOSSが様子を見に来た。
「もっとジャズっぽく、風のようにならないかな」とBOSSから指示がでた。
何度かやってみたが、うまくいかない…
「今日は何回やってもダメだから、どういうフレーズにするか譜面を作ってから後日にしよう」
その日のレコーディングは1時間も経たずに中止となった。

そしてBOSSが自分とJUNCOに話す。
「この曲の鍵はフルートだ、フルートは何を表現すると思う? …風だよ。」
そう言うと、youtubeを開きある1曲を聞かせてくれた。

40年前、吉祥寺のジャズ喫茶で出会った曲らしい。
McCoy Tyner(マッコイ・タイナー)というジャズピアニストの
『Fly With the Wind』という曲。
この曲のフルート奏者:Hubert Laws(ヒューバート・ロウズ)
風のような自由な奏法のイメージが必要だと。

  
「フルートは風。強い風もあれば、寄り添うような風もある。」

初めて聞いた曲だったが、すごく納得できた。
その曲のフルートは本当に風のようだったし、いろんな風を表現しているようだった。
そのイメージになるべく寄せたフルートパートが作成され、収録が再開された。

締め切りまではあと2日となっていた。
完成まであと少し…また明日。

レコーディング日誌2日目。
昨日の製作が決まったところから、実際に作っていく作業へ。

現地での会議の結果、我々に与えられた2つの課題。
『子供からお年寄りまで老若男女を問わず歌える曲』
『歌詞は町で公募で決まったものを使用する事』 

製作はまずデモの曲を作ることから始める。
流れとしては歌詞にJUNCOが曲をつけていき、
調整が必要な所や言葉をうさぎさんが直していく事になった。
JUNCOが歌いやすい曲のメロディーを模索していく…
ここでJUNCOが頭を悩ましたのが『老若男女問わない』という事。

年齢性別を問わないというのはどんな音楽なんだろう。
ある意味ノンジャンル的でいい曲ってどんなんだろう。
JUNCOの顔にはそう書いてあるように見える日は何日も何週間も続いた。
もちろんツアーも入っている為、合間を見つけては作曲をしていた。

そしてある日デモ音源の録音をする事になったが、
結果からいうとボツとなった。
あまりにも子供も歌える事を意識しすぎた曲になってしまい、
お遊戯会みたいな雰囲気が強く出ていた。
私の印象としてもJUNCOらしさにも欠けていて、
歌旅座でこの曲に関わる意味を考えたりしていた。

JUNCOがスタジオに篭る日がまた続いた…
新たに録音する…
ボツになる。

しばらくはそんな日が続いた。
ワカサギ釣りの楽しさなんて忘れかけているだろう。
こんなに頭悩ます事とは想像していなかっただろう。
それくらい顔が曇っていた。


最初は自分達で乗り切らないといけない課題だと思い、
形ができるまではあまりBOSSとはこの話しをしていなかったし、
多分BOSSも自分達でやってみろという感じだったと思う。

デモ音源を何パターンか聞いてからBOSSの意見を聞いた。
まずはターゲットを絞らない『老若男女』というのははるかに難しい事。
強いて言うならそれはどこか『校歌』的な曲か…など話をした。
最終的には「あまり条件を気にせずに作ってみたら。それがいい曲だったら良しでしょ。」
多少条件と合わなくても、それ以上に良い作品を作れば良し。喜んでもらえる。
なんか凄い説得力があった。

自分は校歌的か…なんて考えながら著名人達が作った校歌なんかを聞いてみたりしてみた。
以外と様々なアーティストが校歌を作っている事がわかったが、
校歌らしくないのが多いのと 歌うのが難しそう…
なんて為になったのかどうか解らない事していた頃。

JUNCOはうさぎさんと歌詞の調節をしながら作曲を続けていた。
数日後、デモ音源を録音した。
録音直後にJUNCOが言った。
「これでダメだったらもう無理、もう何も出て来ない」
その曲はJUNCOもあまり条件を意識しすぎないようにしたのか、
1度聞くと頭の中でループするような覚えやすさと、
JUNCOらしさを感じる最初とはぜんぜん違う曲になっていた。

メンバーで試聴もし、これで行こうとなり『風は友だち』の原型が出来上がった。
しかし、この時点で出来上がったのはピアノと歌だけのデモ音源。

長い本州ツアー、北海道でもコンサートを挟んでの作業だったので
すでに完成の締め切りは1ヶ月を切っていた3月中旬になっていた。
4月の四国ツアーの出発までに完成させなければいけない。

これから曲にイントロや間奏をつけて、どんな楽器を入れて、
どんな曲に仕上げるかというアレンジをして、レコーディグをする

間に合うのか…
また明日…

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こんにちはダルです。
今日から4日間でひとつの作品が出来るまでのお話をしたいと思います。

東北ツアーも終わり、これから九州ツアーが始まりますが
少し時を遡り、2月上旬の事でした。

私の携帯に珍しい人からお電話を頂きました。
「ダル、お疲れ様。歌旅座に曲の製作をお願いしたいんだけど。BOSSいる?」
電話をくれたのは大空町の兄貴、秋葉さんでした。
秋葉さんは大空町教育文化会館の館長。
公演の時はいつもご尽力を頂いている一人で、音響・照明にも詳しく公務員とは思えない…
懇親会では機材マニア同士だけで話しが盛り上がってしまいます。


実は公演時の懇親会で『大空町ソング プロジェクト』があるという話題になり。
実行委員の皆さんが「こんなに大空町に来てくれている歌旅座にお願いした方がいい」と
言ってくださり、企画関係者に歌旅座を推薦してくれるという流れに。
最後は皆で硬い握手を交わして帰札した。
それが去年の10月の話しでした。


そこから4ヶ月後の電話。
さまざまな話し合いがされていたのだと思われます。
「前に話した大空町ソングの話し、歌旅座にお願いする事になったよ!」
嬉しい知らせの電話をBOSSへ回す。
電話をしながら書かれていくメモに目が釘付けになっていた。

そして翌週には、うさぎさんとJUNCOが打ち合わせに現地へ向かう事となった。
うさぎさんが以前ブログで書いた女二人珍道中がこの旅だったのです。

到着して間もなく始まったのは、打ち合わせというよりは
二人の予想を超えた大真面目な会議。
うさぎさんのブログでも
それぞれの視線から熱い意見が飛び交い、 決して人まかせにせずに
自分たちの手で作り上げていこうという気概を感じ、 
身がひきしまる思いがした。』
とあるように製作にかける熱い思いと意見交換が成されていたようである。

翌日、私は別件のレコーディングが控えている為JUNCOの帰りを待っていたが
やっと帰って来たのは予定よりも遅く日もどっぷり落ちてからだった。
手には大量、いや大漁のワカサギの入ったビニール袋。
帰ってくるまでは『どっかで道草食ってるなぁ…』とイラついていたが、
釣ったばかりのワカサギを見てしまったので、その日のレコーディングを止め、
揚げたてのワカサギを食べながら旅の報告を聞いた。

この時はなんの問題もなく順調といった感じに思っていた。
しかしここから与えられた課題に悩み、頭を抱えていく事になっていくのですが…
それはまた明日のお話しで。

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おはようございます。ダルです。
東北ツアー2日目にやってきたのは青森県五戸町です。

山々に囲まれた町で坂の多い町です。
私の印象は北海道で言うと小樽市の手宮という地区に似ています。
手宮には祖父母が住んでいた地域なんですが、坂が急で、住民の年齢層も高く、
コンビニも30分くらい歩かないとない地域なんです。

五戸の町も昭和感たっぷりの建物が坂の下から上まで並んでいて、
そのてっぺんに会場の公民館がありました。 
 公民館から見た夕日と町並み。
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 会場には五戸町の昭和世代の方々が続々とご来場いただきました。
お客様の年齢層を踏まえて、『りんごの唄』や『昭和枯れすすき』を
演目に入れてお届けしました。
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最後はJUNCOの雄叫びソング『テネシーワルツ』で幕を閉じました。
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今回は夜公演だった為に来れない方が多かったとの意見も頂いたので、
次回は「お昼にご年配の方にもたくさん楽しんで頂きましょう」と
公民館のスタッフの方々とお約束して、次の町へ向かいました。

次回会場に「待ってましたぁ!」の声が聞こえるのを
楽しみにしたいと思います。

五戸町公民館の皆様、ありがとうございました。
北海道歌旅座、また来ちゃいます。
 

ダルです。
今日から1週間、リレー式ブログでメンバーがそれぞれアップしていきます。
今回のテーマは『昭和』
メンバーそれぞれが昭和に感じている事や思い出を綴っていきます。
まずは最年少の自分からスタートしたいと思います。

昭和60年、北海道の東の果ての釧路郡釧路町
男3人兄弟の三男として生まれました。
父は水産試験場の調査船に乗っており、当直や船が出れば土日も関係ない。
地方公務員とはいえ、あまり家にはいない仕事人間でした。
なので自分達兄弟は子供の時の記憶はほぼ母子家庭のよう。

遊びにも連れて行ってもらえない、運動会などの行事にもいない。
子供の時は公務員はそういう仕事という認識だったので、
子供の頃からなりたくない職業1番は公務員でした。

兄達もそうだったのか、考えてみると3人とも公務員になろうとした事がない。
そんな父も家の事は母に任せ、家庭を顧みず働くザ・昭和の仕事人間だったのだろう。

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自分の昭和は3年だけなので、記憶は乏しいが覚えている事もある。
住んでいた公務員住宅のアパートの4階、母と手をつなぎ毎日階段を上り降りしていた。

母は今でこそただの呑ンベェだが、当時はお菓子なんかも作ってくれていた。
特にアップルパイを焼いている姿が印象に残っている。
それがいつからか、お酒に合うのもばかり作るようになった。

昔も今も歌が好きで、昼間に家事をしながら音楽をかけては歌っていた。
母のカラオケは子供頃からずっと聞いていて、なんとも思わなかったが
大人になってくると、歌がそこそこ上手い事に気がついた。
ただ、めちゃくちゃ『後ノリ』だ…
一緒に歌うと輪唱になってしまいそうなくらい『後ノリ』でやってくる。

釧路公演の打ち上げにて、JUNCOが母となごり雪を一緒に歌ってくれた。
恥かし気もなく一座の前で堂々と歌う母、
他人の振りをしたいくらい勘弁してほしい息子。
あまりの後ノリに驚愕の一座。
それに合わせるJUNCOはさすがプロである。

ある意味では昭和の歌い方なのかもしれない?



あと自分の昭和の風景として知っているのは
家の窓から見た景色、道路を挟んで向こう側にどこまでも釧路湿原が広がっていた。
写真でみるような青々とした湿原ではなく、この写真のような茶色が主な湿原。
今そこは空き地もないくらいの住宅街になっている。
釧路町民ならみんな懐かしい景色だと思う。
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私の感じていた、そんな東の果ての昭和時代。

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