北海道歌旅座コンサートスケジュール

歌旅座テレビ

カテゴリ : 司会太郎

ごきげんいかがですか。
司会太郎です。

昭和42 (1967)年生まれ。
今度、50歳になります。
いいじゃないか。

髪が細くなり、白髪が増えました。
いいじゃないか。

独り暮らしです。
もう、うらやましいでしょう。

こんな司会太郎、幼少時からテレビ好きでした。
ブラウン管の画像を一瞥するだけで
どこのテレビ局からの電波であるかを判別できたし、
新聞もテレビ・ラジオ面だけ読んで
何曜日の何時に何の番組が放送されるか記憶していました。
ヒジョーにつまらない子供の自慢ですが。

保育園や幼稚園の類には通っていませんでした。
現在も同様に行きたくても叶わないご家庭があるようですが、
当時は昭和41年が「丙午 (ひのえうま)」の迷信で出生率は低く、
翌年には反動のように子供が多かったのでしょう、
入園できずにはじき出されてしまって、
いっしょに遊ぶ「同僚」が昼間不在で太郎は孤独。
これにより、さらにテレビジョンにのめり込むようになりました。

だから、朝の奥様向けワイドショーからお昼の奥様向け情報番組は無論、
次から次へとアニメやドラマやドキュメンタリーやクイズ番組を
口をぽかんと開けながら洗脳されるように観まくりました。
そんな幼少期が今日の司会太郎を構成しているのです。

ここまでにこのような文章を書いていて、
自分が気持ち悪くなってきました。


さて、その頃には「お茶の間」というものがあった。

折りたたみ式のテーブルを囲んで床に座って食事し、
四つ脚のテレビジョン受像器を全員で凝視して
毛糸のカバーが施された魔法瓶でお湯を注ぎ、
ご飯茶碗を湯飲み代わりにお茶を飲む。茶碗だからね。
もちろん家族の会話が飛び交って。
父親が昭和45年の大阪万博や昭和47年に日本公開された
映画「ゴッドファーザー」を観に行くのを
いってらっしゃいと送り出したことも記憶にある。
それらもお茶の間の出来事。
そう、これが昭和、日本の茶の間なのだ。

いつしか茶の間はカラーテレビになり、父親は自分だけの
14インチ白黒テレビを独占してチャンネル争いは緩和された。
ソファーが導入されて育ち盛りはだんだん茶の間が窮屈になってきて
実家から離れて自炊暮らしをはじめ、アルコールを味わう訓練を重ね、
ススキノの道端に染みつくようになったのだが。


そして現在。
自宅には和室があり、茶の間を自分なりに模している。
和室って、いいですね。
いろんな姿勢でいられて、転がることもできる。
ベッドで寝付くより茶の間でウダウダしていることが多いぐらい。

テレビも和洋問わず昭和ドラマの再放送や映画が
小さな携帯装置で観られる時代ではありますが、
やはり畳の上でテレビジョン様に対峙して鑑賞する、てえのが
いちばん落ち着くのであります。

つまりは、自分にとっての昭和は、
お茶の間でのさまざまな出来事と
当時のテレビで吸収した文化や知識が
今となって振り返ると昭和そのもの、
ということなのだろう。




では、写真を。
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親元を離れ、自炊生活をはじめた高校生の修学旅行。
あこがれの「太陽の塔」が自分にとって凄まじく昭和だった。
写真の本人は、そう見えないかもしれないが感動ちゅー。
いつか公演で関西行ったら、この写真の再現をしようと思う。


そして。
このブログ記事を書いていて思い出したのですが
プライベート映像を用意してみました。
8ミリカメラのフィルムを実家で発見して、
2007年にデジタル化し家族や親戚に配布したものを少々修正したもの。
昭和の香りを存分に感じてもらえるでしょう。
(音楽が出るので再生時はお気をつけください)




父母、姉に弟、祖父祖母に親戚と、なぜか総出演。
撮影地:北海道日高町(旧・門別町)の教員住宅=司会太郎の生家、
同町富川地区の祖父母宅、です。

司会太郎はどこかな。




それでは、ごきげんよう。


 

ごきげんいかがですか。
司会太郎です。

現在、四国に滞在ちゅー。
居残りで次回のコンサートツアーのご提案で四県をまわっています。

四国公演が終わった翌日から春の嵐に見舞われた西日本、
その夜が明けた新しい朝には、清々しい青空がつづいています。

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提案書を携えて関係各所にお伺いするわけですが、
その時点で、
「ワタクシ、司会太郎と、あ、申します」
とは言わないようにしています。
とっても照れ臭いからです。臭いのです。
ご提案をシリコンバレーの起業家のごとく
説明いたすことにしています。


ところが、後日に歌旅座のホームページや映像をご覧になって、
あるいは実際に公演をおこなった後に、
「あなた、司会さんだったの?」
と尋ねられることもあります。これが驚きます。
関係各所のご担当者も驚きます。
両者、一斉に驚くワケです。
その直後、Super Very照れます。



以上のことから、四国をはじめとする
全国関係各所のみなさま、
ワタクシが訪問しても司会太郎であることは
内心だけに留めてください。
または、ワタクシが姿を消した後に
自由な議論を同僚のみなさまでおこなってください。


それでは、居残り佐平次ならぬ、
居残り恥の上塗り営業を四国でつづけます。
次はどこの街かな。待っててくださんし。


ごきげんよう。
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ごきげんいかがですか。
司会太郎です。

ご存知のとおり、北海道歌旅座にとって
初の四国8箇所巡りコンサートツアーの真っ只中。

3日目は高知県へ。
一座、初めての土佐入り。
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2017年は「大政奉還・海援隊150年」の記念年とは
メンバーの中では司会太郎だけが知っていました(ウソ)
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土佐藩に脱藩を許された坂本龍馬が隊長となって
名称も海援隊に改めたのが1867年4月。
その11月に大政奉還成立。
そして、150年後に北海道歌旅座が高知を訪れて
またまた歴史が動き出す、と。
そんな想いと希望、あり。



2006年、野市町をはじめとする香美郡南部の町村が
合併して生まれたのが香南市
リハーサル風景の1コマ。
レンガで装飾したキレイなホールでした。
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さて、本番。
JUNCOは歌い上げ、ナリコは演奏する。
ザ・サーモンズは跳びはねる。
メンバー、いつものように元気で舞台を努め、無事終演。
お客様の反応、最高!
 
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のいちふれあいセンターのみなさん、
観客のみなさん、ありがとう。
また会えるかな。会えますよね。
大政奉還から151年後か。
意外ともっと早かったりして。

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四国のコンサートツアー、まだまだ続きます。
ごきげんよう。

ごきげんいかがですか。
司会太郎です。

4月を迎えました。
大人の世界では入社・転勤・転属、
子供だったら入園・入学・進学・クラス替え。
新しい世界へ踏み出すこの時期。

心配や不安に苛まれることもあったり、
緊張や警戒心でガチガチになったり。
若い世代ならとくに。



歌旅座テレビ、4月の歌は「海に出よう」

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作詞は中村小太郎さん、作曲はJUNCO
小太郎さんは、昨日のJUNCOのブログ記事でも触れられていましたね。


若者だけではなく全世代にも通じる、心を奮い立たせてくれる歌詞。
ぜひ映像に載せた小太郎さんの想いを感じてみてください。
この季節、あなたにとっての新たな応援歌になるかもしれません。



「海に出よう」は昨年発売されたJUNCOと写真家・飯塚達央による
コラボレーション写真集『エイジアン・パラダイス』から。
DVDに収録されたミュージックビデオの内の1曲です。
タイ王国の秘島で撮影された渾身の作品。
写真、動画、詩、旋律、そして歌。
それぞれの特色がひとつの世界観に完結しました。

ご好評をいただいているDVD付き写真集『エイジアン・パラダイス』
飯塚達央氏の作品のページをめくりながら映像をご鑑賞いただくと
より味わい深い時間を過ごせるでしょう。

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それでは、ごきげんよう。




  中村小太郎さん・略歴
  ◯1937年= 東京都浅草駒形で誕生
  ◯1964年=「岡本太郎展」に衝撃を受ける
  ◯1965年= 岡本太郎氏の制作助手となる
  ◯1968年= ヒデとロザンナ「愛の奇跡」で作詞家デビュー
  ◯1973年=渡米。ニューヨーク、ヒューストンで個展
  ◯1974年=ブラジルへ。サンパウロにて個展
  ◯1989年=銀座・日動画廊にて個展。ついに岡本太郎氏の弟子となる
  ◯1997年=銀座三越にて個展
  ◯2000年=岡本太郎展(札幌芸術の森)をプロデュース
  ◯2005年=銀座・日動画廊にて個展
  ◯2015年3月31日=北海道余市町にて永眠

 

ごきげんいかがですか。
司会太郎です。
今回はわたくしが「9年目の挑戦」を担当します。

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私のおふくろさまは、もう10年以上も毎週水泳教室に通っている。
同じような世代が多数プールで泳ぎまくっているそうだ。

あるとき、プールで流れるBGMが不調をきたした、と。
具体的にいうと、「テープが伸びた」のだ、と。
今どきカセットテープを使用しているのに驚いたのですが。


話を聞くと、BGM用テープが長年の使用に耐えきれずに
ビローンと伸びてしまって音楽もスローモーションになってしまって
非常に困っているらしい。軽快感がまったく無くなってしまったと。
でも、どういうワケか再生はされていたらしいのだけど。


予算の関係で新しい機材の導入もままならず。 
最終的にはBGMは停止され、生徒さんたちは、水しぶきの音と
指導する先生のかけ声だけのなかで水泳をつづけた。


お盆休みの帰省時に、おふくろから新品のカセットテープを2本託された。
「なんでもいいから、泳ぎにピッタリな曲を入れて」という乱暴な要望。
カセットテープが懐かしかったので引き受けた。
そして、時間はかなり経過してしまったけど、
正月にテンポ感のある音楽をビッシリと収録した
2本のテープを携えておふくろに手渡した。
うれしそうに受け取ってくれた。



そして先日、おふくろから電話をもらった。
世間話をひとしきり終えた最後に水泳教室の話題。
曰く「みんな大喜び」
曰く「また楽しくなった」
曰く「いろんな人を誘って、生徒さんが増えた」…。
声を弾ませてそう伝えてくれた。
こちらも自然と微笑んだ。



電話を切ったあと、思った。
「北海道歌旅座のやることは、こういうこと」。
喜んでもらい、楽しんでもらって、広がる。
これが歌旅座が届けるべき音楽のかたちだと信じる。

音楽は形がないものなのに、
心に響く音楽の「かたち」は確実に存在する。
それによって人の行動を変えることもできる。 

チープ兄貴、JUNCO、BOSSを筆頭に
歌旅座がこれまでやってきたことは間違っていないと確信。

司会太郎としての9年目の挑戦は歌旅座がやってきた
音楽のかたちをさらに広げていくこと。
喜んでもらい、楽しんでもらうのは当たり前。
多くの見知らぬ人に歌旅座をみつけてもらうために
多くの親しい人に歌旅座を再発見してもらうために鋭意奮闘する所存。
そのためには、これまで以上に出会いを重ね、芸を磨くこと。



新しいテープが先に伸びるか、その前に自分がのびてしまうか、勝負!

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それでは、ごきげんよう。


 

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