カテゴリ : 日々のこと
【歌旅グルメ日記 勝央まんまのほっ!】ナリコ
初めてお店におじゃましたのは去年10月、勝央公演の時でした。
吉山さん、ご出身の広島県庄原市のお米を使った「庄原焼き」を発案!されたのだそうで、
じつは歌旅座を最初に観て下さったのも、もともとお店があった広島でのこと。
じつは歌旅座を最初に観て下さったのも、もともとお店があった広島でのこと。
ナリコのコーヒータイム【ワインの話】
初めてのワインは高校生時代。
東京の音楽大学に通う一人暮らしの先輩を訪ねて行った時、
「飲む?」とさらりと言って赤ワインを出してくれた。
それがとってもオトナに見えたのです。
「飲む?」とさらりと言って赤ワインを出してくれた。
それがとってもオトナに見えたのです。
あれからずいぶん時は流れ、私もオトナになりました。
フランス、チリ、スペイン産などワインの流行りに乗った時期、
実家は札幌郊外だというのに、すすきのワインバーで
夜遅くまで飲み歩いたこともありました。(親父譲り)
689(シックス・エイト・ナイン)というアメリカ西海岸産ナパヴァレーの逸品。
数字それぞれに意味があり、⑥は幸福、⑧は豊かさ、そして⑨は長寿を表すそうです。
宿屋のオヤヂ:JUNCO
『宿屋、始めたらしい』
突然飛び込んできたニュース。
東川町在住のカメラマン『たっちゃん』こと飯塚達央氏が、
なんと一棟貸しの宿『Fred House 東川』という宿泊業を始めたと言うのだ!
たっちゃんにはいつも驚かされる。 「スタジオ作ったらしい」 「町議になったらしい」 「○○らしい」 「△△らしい」etc...
穏やかな笑顔の奥に秘めた野望に、
私たちまでワクワクしてくるのはなぜなんだろう。 BOSSが一言。 『あの男、荒野を行ってるな』
写真家、議員、そして宿屋のオヤヂと、3足の草鞋を履いて走り出すたっちゃん。 カッコイイぞ〜〜っ!! 歌旅座も心から応援してます! 皆さんも是非チェックしてみてくださいね♫ 2024年7月New Open!米と水が美味しい
北海道東川町の一棟貸しの宿『Fred House フレッドハウス東川』

なんと一棟貸しの宿『Fred House 東川』という宿泊業を始めたと言うのだ!
たっちゃんにはいつも驚かされる。 「スタジオ作ったらしい」 「町議になったらしい」 「○○らしい」 「△△らしい」etc...
穏やかな笑顔の奥に秘めた野望に、
私たちまでワクワクしてくるのはなぜなんだろう。 BOSSが一言。 『あの男、荒野を行ってるな』
写真家、議員、そして宿屋のオヤヂと、3足の草鞋を履いて走り出すたっちゃん。 カッコイイぞ〜〜っ!! 歌旅座も心から応援してます! 皆さんも是非チェックしてみてくださいね♫ 2024年7月New Open!米と水が美味しい
北海道東川町の一棟貸しの宿『Fred House フレッドハウス東川』

サイトーニョにお別れを:ジュンコ
知らせが届く。
「斉藤康仁さんが亡くなった」
私に、バンドの楽しさを教えてくれたお師匠。 若い頃から会社を作り、ゲーム音楽を中心に様々な制作に携わってました
(その頃はスーツを着て仕事していたようで、BOSSは当時からお付き合いがあったと聞きました)。
40歳の時、スーツを脱ぎ髪を伸ばし大好きなギターを弾き始め...私が出会ったのもその頃でした。 斉藤さんが一緒に作ってくれた「素晴らしき人生」というアルバムを、
BOSSの会社で製造したことがきっかけとなり、今の私が居ます。 斉藤さんが繋いでくれた縁のおかげでこうして皆さんに歌を届けることが出来ています。
感謝しかありません。
歌旅座の制作にもたっくさん関わって頂きました。 「イヨマンテの夜」のバイオリンフレーズ、
きっとナリコもこれから斉藤さんを思い出しながら弾くと思います。
いつも穏やかで「ペヤング」が好きで、誰かと一緒に呑む時は朝まで呑んで、
酔ったら私のメロディオンで「宇宙戦艦ヤマト」を弾きながら歩く姿は、とってもお茶目でした。
いつかの日か「ロナウジーニョが好きだから、俺、サイトーニョにしようかな」 と呟いていたようです。 その名前で呼ぶの私たちくらいしか居ないと思いますが、
親しみを込めて呼ばせてもらいます。
サイトーニョさん、たくさんの愛をありがとうございました。 あまりに突然の出来事、ご家族の皆さんはやり切れない思いだと察します。 サイトーニョさん、どうか近くで支えてあげててくださいね。


私に、バンドの楽しさを教えてくれたお師匠。 若い頃から会社を作り、ゲーム音楽を中心に様々な制作に携わってました
(その頃はスーツを着て仕事していたようで、BOSSは当時からお付き合いがあったと聞きました)。
40歳の時、スーツを脱ぎ髪を伸ばし大好きなギターを弾き始め...私が出会ったのもその頃でした。 斉藤さんが一緒に作ってくれた「素晴らしき人生」というアルバムを、
BOSSの会社で製造したことがきっかけとなり、今の私が居ます。 斉藤さんが繋いでくれた縁のおかげでこうして皆さんに歌を届けることが出来ています。
感謝しかありません。
歌旅座の制作にもたっくさん関わって頂きました。 「イヨマンテの夜」のバイオリンフレーズ、
きっとナリコもこれから斉藤さんを思い出しながら弾くと思います。
いつも穏やかで「ペヤング」が好きで、誰かと一緒に呑む時は朝まで呑んで、
酔ったら私のメロディオンで「宇宙戦艦ヤマト」を弾きながら歩く姿は、とってもお茶目でした。
いつかの日か「ロナウジーニョが好きだから、俺、サイトーニョにしようかな」 と呟いていたようです。 その名前で呼ぶの私たちくらいしか居ないと思いますが、
親しみを込めて呼ばせてもらいます。
サイトーニョさん、たくさんの愛をありがとうございました。 あまりに突然の出来事、ご家族の皆さんはやり切れない思いだと察します。 サイトーニョさん、どうか近くで支えてあげててくださいね。

