うたたび ザ・コネクション


カテゴリ : 日々のこと

初めてのワインは高校生時代。
東京の音楽大学に通う一人暮らしの先輩を訪ねて行った時、
「飲む?」とさらりと言って赤ワインを出してくれた。
それがとってもオトナに見えたのです。

あれからずいぶん時は流れ、私もオトナになりました。
フランス、チリ、スペイン産などワインの流行りに乗った時期、
実家は札幌郊外だというのに、すすきのワインバーで
夜遅くまで飲み歩いたこともありました。(親父譲り)

そんなサスライの「なんちゃってソムリエ」が今回紹介するワインはコレです。
689(シックス・エイト・ナイン)というアメリカ西海岸産ナパヴァレーの逸品。
数字それぞれに意味があり、⑥は幸福、⑧は豊かさ、そして⑨は長寿を表すそうです。
これまで親しんだワインとは違う、明るいカリフォルニアの陽射しを思わせる
ブドウの伸びやかな味わいは、なんだか深呼吸しながら愉しめてしまいます。
ナリコとワイン689
合わせるイチオシの料理は、マッシュポテトのブルーチーズ焼き(通称マッシュ&ブルー)。
ブルーチーズと熱々ポテト、なめらかな689が「調和」して、
おいしく召し上がっていただけるはずです。
マッシュ&ブルー

皆様ぜひお試しくださいね。
円山サラタイでお待ちしております♪
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『宿屋、始めたらしい』 突然飛び込んできたニュース。 東川町在住のカメラマン『たっちゃん』こと飯塚達央氏が、
なんと一棟貸しの宿『Fred House 東川』という宿泊業を始めたと言うのだ!
たっちゃんにはいつも驚かされる。 「スタジオ作ったらしい」 「町議になったらしい」 「○○らしい」 「△△らしい」etc...
穏やかな笑顔の奥に秘めた野望に、
私たちまでワクワクしてくるのはなぜなんだろう。 BOSSが一言。 『あの男、荒野を行ってるな』
写真家、議員、そして宿屋のオヤヂと、3足の草鞋を履いて走り出すたっちゃん。 カッコイイぞ〜〜っ!! 歌旅座も心から応援してます! 皆さんも是非チェックしてみてくださいね♫ 2024年7月New Open!米と水が美味しい
北海道東川町の一棟貸しの宿『Fred House フレッドハウス東川』
フレッドハウス東川

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知らせが届く。 「斉藤康仁さんが亡くなった」
私に、バンドの楽しさを教えてくれたお師匠。 若い頃から会社を作り、ゲーム音楽を中心に様々な制作に携わってました
(その頃はスーツを着て仕事していたようで、BOSSは当時からお付き合いがあったと聞きました)。
40歳の時、スーツを脱ぎ髪を伸ばし大好きなギターを弾き始め...私が出会ったのもその頃でした。 斉藤さんが一緒に作ってくれた「素晴らしき人生」というアルバムを、
BOSSの会社で製造したことがきっかけとなり、今の私が居ます。 斉藤さんが繋いでくれた縁のおかげでこうして皆さんに歌を届けることが出来ています。
感謝しかありません。
歌旅座の制作にもたっくさん関わって頂きました。 「イヨマンテの夜」のバイオリンフレーズ、
きっとナリコもこれから斉藤さんを思い出しながら弾くと思います。
いつも穏やかで「ペヤング」が好きで、誰かと一緒に呑む時は朝まで呑んで、
酔ったら私のメロディオンで「宇宙戦艦ヤマト」を弾きながら歩く姿は、とってもお茶目でした。
いつかの日か「ロナウジーニョが好きだから、俺、サイトーニョにしようかな」 と呟いていたようです。 その名前で呼ぶの私たちくらいしか居ないと思いますが、
親しみを込めて呼ばせてもらいます。
サイトーニョさん、たくさんの愛をありがとうございました。 あまりに突然の出来事、ご家族の皆さんはやり切れない思いだと察します。 サイトーニョさん、どうか近くで支えてあげててくださいね。

サイトーニョ01


サイトーニョ02



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往年の昭和の名曲を生み出した作詞家の中に大津あきらという人がいる。
高橋真梨子の「for you...」(82年)、徳永英明の「輝きながら」(87年)、
中村雅俊の「心の色」(81年)..などなど、我らの青春、真っ只中のあの曲この曲。
1997年、47歳というの若さで急逝するまでに数々の名曲を世に送り出してきた。

彼が慶応大学時代、1年先輩だった劇作家、演出家のつかこうへい氏と出会い
劇団の挿入歌を任されることがきっかけで作詞家の道に入ったそうである。
実は歌旅座のBOSSが若かりし頃、東京・新宿で「つかこうへい劇団」の
音響担当をしていた時、大津さんと出会い、とても可愛がってもらった経験があるとのこと。

時には自宅にお邪魔して、舞台・音楽談義を交わしたり、
麻雀を一戦交えたりと近しい関係であったようだ。
ちなみに奥さんは女優「根岸季衣」さん。

その後、お互い違う道を歩くこととなり10年が過ぎた。
BOSSはビジネスで世界を渡るようになったが、香港、台湾、タイなど
アジアの国々を訪れたとき、なんだか聞き覚えのある曲を耳にしたそうだ。
詞はもちろん日本語ではないが、曲は確かに日本の曲である。
日本語の曲名は「夕焼けの歌」(89年)。マッチこと近藤真彦が歌っていた曲だ。

特にタイではこの曲が大ヒット。一躍スターとなったジェーという歌手が歌っていた。
BOSSは知人の紹介でこのジェーに会うこととなり、
後に彼のスタジオを借りて音源収録などをしていたこともある。
食事で同席したときには、
「トムヤムクンはこうしてご飯にかけて食べるのが美味しいんだ」と
食べ方を教えてくれる仲になった。

あるときジェーに「この曲って、日本の曲だよね?」と聞いたところ
「知らない。違うでしょ」という言葉が返ってきたそうだ。
ホントに彼自身は知らないようでそこは深くは追及はしなかったが、
とにかくこの曲はその後もタイ全土で知らぬ人はいない位のメガヒットとなった。
このときはBOSSは知らなかったが、日本語の原曲の作詞は、
かの大津あきらさんであったことを後日知ることとなる。

大津あきらさんとジェー、異なる時代の異なる場所でのBOSSとの出会い。
大津さん亡きあとは、故郷・山口県長門市で有志の方が、
大津あきら音楽祭の開催や〈大津あきら青春♪音楽館の設立に動きだしている。
そして、タイ・バンコクのジェーは数年前に連絡したところ
「レストランやってるから食べにおいでよ~」と元気そうであった。

BOSSにとって不思議な縁のあるこの曲、
歌旅座のレパートリーとして引継いでいきたい曲のひとつですね。

♪ゆらゆらと俺の頬に焼つくあの頃と同じ夕焼け空
 これからも続く夕焼けの歌物語...あゝ、春 夏 秋 と...
7/28 The Friendsで聴けるかも。
以前も紹介したことがありますが、ジェーの泣きの歌声がこちら(タイ語)⇓



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45歳になりました。

大々的に抱負を語る歳でもなく、何を書こうかと考えていたら
「まず写真だ」と先月誕生日を迎えたジュンコから助言をもらう。
少し若いジュンコと父さん、いい写真だったね。

私の出生届は札幌市西区役所に提出したと聞いている。
数年前のコロナ禍、必要な手続きをするため同じ区役所に行った際
「集うな」と言われているにもかかわらず、
どこよりも混んでいる役所の長蛇の列に並びながら
数十年前、父もここに娘の誕生を知らせに来たのだとしみじみ思った。
しかし話を聞けば、出産が札幌だというだけで、
それから二年ほどの暮らしは訓子府(くんねっぷ)にある。

アルバムに残るのはダムの現場にいた父と幼い私を繋ぐ困惑顔のヘルメット写真。
今後の自己紹介は、訓子府町生まれと言うべきなのかしら…。
訓子府公演も久しぶりに開催したいですね。
現場を監督する幼少ナリコ



バイオリンを始めたのは5歳の時。
麻雀始めて60年と言われては敵いませんが、
40年もなかなかだと、ようやく思えるようになりました。
バイオリンを通して出会ったたくさんの方達、多くの思い出に、感謝しています。

本日の宴、ご予約いただいている皆様も、飛び入り参加の皆様も、お待ちしております。
ヴァイオリンを習う幼少ナリコ

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