北海道歌旅座コンサートスケジュール

歌旅座テレビ

カテゴリ : 日々のこと

今年初のバンコクにやって来ました。
サワディーカップ!
厳寒の北海道から常夏のタイへ。。
とはいえ意外と涼しい1月のバンコクですが、寒さでキシんでいた体が
ダヨーンと嬉しい悲鳴をあげてます。
ありがたいですね。
さて、これまで1章、2章と記載してきた『円山夜想物語』。
今回はその続編をお届けします。

第3章『メタモルフォーシス・円山夜想への変身』

エイジアンブルーの歴史について触れてきたが、これまでの経過の上で
忘れていけないことが2つある。
一つ目はレストラン『円山厨房』の存在。
そう、歌旅座公演でも人気の『円山厨房特製カレー』を生んだこのレストランは、
エイジアンブルーの翌年の2004年、当時のオフィス1階にオープン。
1548730669353-492x369
『円山厨房』が出来、店への食材の供給もより充実されるようになったのだ。
一時ランチタイム営業ができたのもそのおかげ。
特に思い出深いのがエイジアンブルー特製オリジナルの「支那そば」。
あっさりスープにツルツル細麺は週1で味わいたい一品であった。
マルチュウカレーと合わせて現在ライブでも人気の「マルノク・ドリア
この頃からの定番に。

2つ目チープさん(LOOKメンバー。以下:チープ)との出会いである。
BOSSと彼がここバンコクで再会したのが2003年。
それと同時にバンコクのレコーディングスタジオで収録したのが
この作品『NORTH WORD~ノースウォード』だ。
私もバンコクに同行させてもらったが、今思い起こせば「歴史の変わる瞬間」に
居合わせてもらった思いすらする。
1548730663714-561x421
サックスプレイヤー・チープ広石によるインストゥルメンタルで
北海道ソングスの原点ともなる「北」の5曲がエントリーされた
エイジアンブルー・プロデュース」という幻の1枚だ。
このアルバムの登場により、これまでの「本格的バー」から、
「音楽ライブのあるバー」に少しずつ位置付けが変わってくることになる。

チープはその後、パーソナリティとして
ディスカバリーミュージック・ドットジェイピー』を札幌のラジオ局でスタート。
主に「インディーズ」と呼ばれていたアマチュアからプロを目指す
ミュージシャンを毎週ゲストに迎え、番組も好調であった。
このときゲスト出演したのが、我らが歌旅座のJUNCO
チープとの出会いが今の歌旅座へと繋がっていく瞬間だ。

2008年にはチープ主演の音楽ドキュメンタリー映画
Same Old Story~20年目の訪問者』がニューヨークの映画祭で
最優秀音楽ドキュメンタリー賞を獲得。
この映画の中でも「エイジアンブルー」が登場。
ゆうばり国際ファンタスティック映画祭・招待上映の後は、
「ロケ地」エイジアンブルーでの上映会+ライブも盛大に行なわれた。
1548730677356-405x540
*マルノクでのリバイバルチラシ
JUNCOはその後この店でのチープのライブにも訪れ、仲間に加わることに。
2009年には歌旅座の前身となるユニット『Junco& Cheep』を結成。
日々曲作りやレコーディングなどの作業にどっぷり浸かりながら、
週に2~3度エイジアンブルーのカウンターに〈チーママJUNCO〉として
立つこともあったのだ。
この頃のJUNCOを知ってる貴方はすでにレアな方!?

そんな怒涛のような活動を続けて行く中、今度はテレビ番組の話が浮上。
その番組名こそが『円山夜想・マルヤマノクターン』だったのである。
ケーブルテレビJ:COM札幌で放送されていたこの番組。
撮影場所はエイジアンブルー。
チープがホストとなり様々なゲストを迎えるという設定であった。
じゃあ、ここの「場所」もいっそのこと『円山夜想』に変えてしまおうかと。
1548730673364
*かねてからチープさんと交友のあった作詞家・松井五郎さんゲストの回

チープとゲストのトーク後は毎回Junco& Cheepのライブ中継。
真冬の円山に響く「外は白い雪の夜」。たまらなかったナァ。

え~~そんなことで昔から話がクドくて有名なあっしですが、
「ローマは一日にして成らず」。
『円山夜想』15年を語る上で外せないエピソードを書かせてもらいました。
これがエイジアンブルーからの変身、『円山夜想』の誕生だったのです。
次回は最終章をお届けします。
それではまた♪
アリーでした。


    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

“人生最後の晩ごはん”という意味で「最後の晩餐」に
何を選ぶか?という質問をTVなどで耳にすることがある。
自分はどうだろう?と考えると、その時が来るにはまだ余裕が
あると思うので決めかねてはいるが、候補のひとつに“お寿司”
がある。
昔々、子供の頃は“お寿司”というのはハレの日の食事であって
そう頻繁に口にするものではなかった。
今やスーパーのお弁当売場にも並ぶほど当たり前の一品?
となるとは思ってもみなかった。
“寿司好きうさぎ”としては、ちょいと出かけると何処かしらに
回転寿司の店を見つけられる昨今が本当に幸せで…。
なので所用で出かけた折、買い物ついでに、散歩がてら小腹を
満たしに、と何やかや週に一度ほどのペースでお皿を
重ねている。
時折JUNCOに、“今日はどこそこで何枚重ねた”と報告し、
それに対しJUNCOが“ほほ~~”と答える、という実に
実りのない会話の素ともなっている。

私と回転寿司のつき合いは意外と古い!?
今では女性の一人客など当たり前の光景であるが、その昔
まだピチピチうさぎの頃は、そもそも回転寿司は数えるほど
しかなく、客層も外回りのサラリーマンや、日本酒を
ちびりちびりやっているおじさん達など圧倒的に男性客
ばかりで、ピチピチうさぎが入店するとよく奇異の目で
見られたりしたものだ。
そんな目は全く気にしなかったが…。
その頃の回転寿司は私にとって胃と心を満たすだけではなく、
実は闘いの場でもあった。
今の回転寿司はたいがい「お好みの物を注文してくださいねぇー」
というスタンスで目の前の板さんに直接だったり、備えつけ用紙
に記入したり、タッチパネルでポンと押したりしてオーダー
するのが主流だが、その頃は当たり前に流れてくるお皿から
好みの品を選んだものだ。
だから、だからこそ何枚か流れてくる同じネタの中から
一番新鮮で一番いい部位の物を選び抜く、その目が必要と
なってくる。
あの頃、私は真剣だった。
真剣に回転寿司と闘っていた。
そりゃあ、お金を出せばいくらでもいいネタは食べられる。
でもそれじゃあ面白くないし(いや、そもそもそんなお金ないし)
当時回転率の一番高かったまぐろとイカに絞り、特にまぐろに
関しては、築地の仲買人もかくや?という目付きで選んで
いたと思う。
この闘い、勝率は8割を超えていたと思う。
例え安いまぐろでも選び方によってはびっくりするくらい
美味しい物に当たることもある。
心の中で勝ち名乗りを上げて店を後にしたのが8割。
残り2割は、座る場所が悪かったり、照明の加減で
“いい”と思って選んだネタが案外筋が硬すぎたり、シャリの
下のほうが乾きかけていたり…と、そんな負け方。
そんな時はリベンジを誓い、うつむくことなく「握りしめた
その手で自分の胸をたたいて」店を後にしたものだ。
ナンノコッチャ?
懐かしいな、あの闘いの日々が…。
今は好きなネタだけを注文し、満足満腹する心穏やかな
余生を送っている。

そう言えば、ずいぶん前、あれは東京・高円寺での公演後、メンバー
と行った『桃太郎寿司』でのこと。
隣に座ったJUNCOが白子の軍艦巻きを注文した。
お皿が置かれた時に “JUNCO、あれ何だろうね?”と店内に
張られたポスターを指さし、JUNCOがそちらに目を離した
すきに、上に乗った白子だけを2個とも食べてしまった。
いやあ、我ながらあの瞬間芸は見事だったと思う。
JUNCOが目を戻した時にはもうそれはただの海苔巻きに
なっていた。ガハハハ。怒られた、怒られた。
ほんに、すんまへん。
そろそろ、そのお詫びも兼ねてJUNCOを誘って回転寿司に
行こうかな。
まだまだ “たち軍艦”の美味しい季節だもの。
そうなるとダルとチエにも声をかけなきゃ…。
いや、待てよ。アイツらはいったい何枚お皿を重ねるのか?
今月の私の懐事情を鑑みてーーーーーなどとケチ臭い話は
やめて、ここはひとつ うさぎ姐さんとしてど~んと一言
言おうじゃないか。
“さあ、君たち、何でも好きな寿司喰いねぇ!!”

_20190127_171419

    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

とある調査では、新入社員と上司が一緒にお酒を呑むのは
一週間に一回どころか、一カ月に一回だとかなんとか。
寂しい話ですねぇ…。お酒そのものをあまり飲まないん
ですねぇ…。家でなにしてるんでしょうねぇ。
身体のほとんどがお酒で成り立っているオイラにして
みたらありえないですね。(弱いですけど)
あんなにも二日酔いがツラかったハズなのに、夕方になると
突然メラメラと元気になり、いつ冷蔵庫の金麦をプシュっと
しようかと喉を鳴らしている。
BOSSが一足早く、缶を開けている。
なにっ?!続け続け~!とあちこちでプシュ、プシュ。

札幌に事務所がある、と言うと皆さん、私達はススキノで
ブイブイ呑んでるんだろうと思ってる方が多いみたいですが、
残念ながら一座がススキノで一杯やったことは一度もありません。
アジトで、2019年のステージに向けた構想・制作を激しく進め、
脳が活性されるとそのまま会議テーブルで呑み始める。
(全員徒歩15分圏内に住んでるというのもイイ)
さらにほぐされた脳は『アイデアの泉』となり、破ったカレンダー
の裏には『やってみたいこと』が次々と描かれる。
ツマミはシーチキンの缶詰に貰い物の珍味、宗八カレイに
キャベツのごま油和え、6Pチーズにナッツ ets…。
T-falの湯沸かし器の中にお酒の入った牛乳瓶を入れ、熱燗だって
やっちゃう。
あぁ 今日も一升瓶がゴロゴロ転がっている。困ったもんだ。
でも、呑んだ分だけ心豊かな会話があるんだもの。
やめられない。ノミニュケーション万歳。

僅かな記憶の答え合わせから始まる次の日。顔色の悪いメンバー
がノソノソとまた集まってくる。
『とにかくお腹が空くねん…。あぁお腹空いたお腹空いた…。』
とうわ言のように呟きながらチエが卵かけごはんをかきこんで
いる。ダルは腹がゆるくなっているのか、トイレが近い。
それぞれの業務をスタートさせるが、窓の外は4時を過ぎれば
もう暗い。あぁ また夕方が来るのだ。

今日は何に乾杯だ? なになに、チエがお好み焼きパーティー
をやりたいと。しかも頂き物のワインもあると。
マイッタね。やるっきゃないね。 
BOSSが言う。『一月は正月だ』。この言葉に勇気(?)を
もらい、今日もまた乾杯の理由を無理やり作り、アイデアの泉
へと潜っていくのです。
『今日はあんまり呑まないぞ』という全く当てにならない決意
を胸に。

歌旅座、元気です。

_20190125_123029

冬の北海道は冷蔵庫いらず。窓と窓の間に入れておけば
いつでも歯に沁みる程キンキンに冷やすことが出来ます。

    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

1月22日。早朝。
「早起きは三文の徳」を座右の銘にしている、朝に強いチエに桑園駅に送ってもらい、
JR新千歳空港行きの始発に乗り込んだ。
1548267760542-561x421
いや~しばれてるな~プラットホーム。
これから久しぶりの関東営業に向かう。
ちょうどこの時期の羽田空港行きは、オイラにとってはなんとなく切なくてホロ苦い。
どうしてかって?
それは大学受験を思い出すから。

親父や叔父が学生時代は東京で過ごしていた影響もあってか、
子供の時分から北海道での学生生活のイメージは一切なかった。
高校をでたら一刻も早く北海道を飛び出したかったのだ。
身の程を知らず、東京の大学を受けまくったのだが、見事に撃沈。
待っていたのが浪人生活。
東京行きは翌年以降のオアヅケとなったのだが、この傘張り作業はオイラの場合
1年で終わらなかった。トホホ・・・全く親にもずいぶん苦労させたものだ。
翌年の同じ頃、上京しても「サクラサク」ことはなかった。

1989年。昭和最後の年の2月。例のごとく再上京。
昭和天皇の葬儀のため各国の要人が来日し、空港も厳戒体制で物々しい状況であった
のを覚えている。
そして平成時代の幕開けと同時にこの年からオイラの東京生活が始まった。
「日々是決戦」残念ながら未だ浪人生としてだったけど。。

あれからちょうど30年。平成最後の年。
東京のまちも時代もずいぶんと変わったが、
この時期の暖かい日差し、心地の良い刺すような寒さは昔と同じだ。
ノスタルジックでもあり、あの時のこれから起こる未知なる世界へのドキドキ感や
緊張感も同時に思い出させてくれる。
いい時期に来たな。。と思った。

今回は都内には出ないが、あの頃なかった〈東京湾アクアライン〉を抜け
千葉・茨城・埼玉界隈を回り戻る予定。
1548267755621-558x263
これからは関東にも歌旅座公演の「サクラサク」のを願って。

    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

ごきげんいかがですか。
司会太郎です。


旬な話題から。
プロスキーヤーの三浦雄一郎さんが、
南アメリカ大陸の最高峰、アコンカグアの登頂を断念した。 
標高6961メートル、三浦さん86歳。なんという数字。
しかも、登頂したら帰りはスキーで滑降する予定だったという。

4階分あるオフィスの屋上までチエを背負って階段を上がり、
帰りはスケートボードで下りてくるようなもの。
そんな危険な冒険は願い下げです。
途中で吐瀉物まみれになりそうです。

三浦さんには上ではなく、今度は下を目指してほしい。
グランドキャニオンをスキーで滑降し、
ロッククライミングで登ってくる、みたいな。
空気も薄くないし、寒くもないはず。あなたならできる。



ここ札幌では、冬になれば雪山が各所でそびえ立ちます。
もはや異次元です。
それはこんな感じ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 
 IMG_1186z
札幌市民にはおなじみの光景。
3メートル以上の高さのグロテスクな雪山が
横断歩道を塞いでいます。
歩行者は汗だくになってこの山を越えて進みますので、
すべての市民がプチ三浦雄一郎となる日常。
おじいちゃんも、ピッケルを持って毎日必死です。

でも、夜は幻想的になりますよ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 
IMG_1188z
街灯の柔らかな明かりが2メートルを超える山々を照らし、
アベックやおばあちゃんの行く手をロマンチックに阻むのです。
これを「北方都市型アルプス交差点」と呼んでいます。
 

これら雪山の出現は人間が雪かきをして山積し、
その上にまた雪が降り注ぐという、
人類と自然の協業で成り立っています。
頼むから排雪溝を整備してほしいです。
約200万人が暮らす政令指定都市なのだから。 


前回の記事につづき、雪に対する思いの丈を吐き出してみました。
けれども、全然スッキリしません。



別の話題。
最近、整骨鍼灸院に通っています。
ある角度に左肩を回すと痛みを覚えるからです。
10本ほど鍼を刺された上、それに電流を流すんですね。
人生で初めて充電中のスマートフォンの気持ちがわかりました。


次の話題。
ある新年会に参加してきました。
当地の大ホールを借りて300人近くが集う盛大なもの。
そして、ビンゴ大会。
結果、獲得したのは大量のタマネギ。
人生で初めて裕福な気持ちになりました。


新しい話題。
その新年会の翌日、発熱しちゃいました。
きっと、ビンゴでフィーバーしすぎたのでしょうが、
人生で初めてタマネギ病になったかと思いました。
IMG_1198z



今回はこのへんで。
ごきげんよう。

 
    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

このページのトップヘ



© DMJ, INC. ALL RIGHTS RESERVED.