うたたび ザ・コネクション


カテゴリ : 日々のこと

往年の昭和の名曲を生み出した作詞家の中に大津あきらという人がいる。
高橋真梨子の「for you...」(82年)、徳永英明の「輝きながら」(87年)、
中村雅俊の「心の色」(81年)..などなど、我らの青春、真っ只中のあの曲この曲。
1997年、47歳というの若さで急逝するまでに数々の名曲を世に送り出してきた。

彼が慶応大学時代、1年先輩だった劇作家、演出家のつかこうへい氏と出会い
劇団の挿入歌を任されることがきっかけで作詞家の道に入ったそうである。
実は歌旅座のBOSSが若かりし頃、東京・新宿で「つかこうへい劇団」の
音響担当をしていた時、大津さんと出会い、とても可愛がってもらった経験があるとのこと。

時には自宅にお邪魔して、舞台・音楽談義を交わしたり、
麻雀を一戦交えたりと近しい関係であったようだ。
ちなみに奥さんは女優「根岸季衣」さん。

その後、お互い違う道を歩くこととなり10年が過ぎた。
BOSSはビジネスで世界を渡るようになったが、香港、台湾、タイなど
アジアの国々を訪れたとき、なんだか聞き覚えのある曲を耳にしたそうだ。
詞はもちろん日本語ではないが、曲は確かに日本の曲である。
日本語の曲名は「夕焼けの歌」(89年)。マッチこと近藤真彦が歌っていた曲だ。

特にタイではこの曲が大ヒット。一躍スターとなったジェーという歌手が歌っていた。
BOSSは知人の紹介でこのジェーに会うこととなり、
後に彼のスタジオを借りて音源収録などをしていたこともある。
食事で同席したときには、
「トムヤムクンはこうしてご飯にかけて食べるのが美味しいんだ」と
食べ方を教えてくれる仲になった。

あるときジェーに「この曲って、日本の曲だよね?」と聞いたところ
「知らない。違うでしょ」という言葉が返ってきたそうだ。
ホントに彼自身は知らないようでそこは深くは追及はしなかったが、
とにかくこの曲はその後もタイ全土で知らぬ人はいない位のメガヒットとなった。
このときはBOSSは知らなかったが、日本語の原曲の作詞は、
かの大津あきらさんであったことを後日知ることとなる。

大津あきらさんとジェー、異なる時代の異なる場所でのBOSSとの出会い。
大津さん亡きあとは、故郷・山口県長門市で有志の方が、
大津あきら音楽祭の開催や〈大津あきら青春♪音楽館の設立に動きだしている。
そして、タイ・バンコクのジェーは数年前に連絡したところ
「レストランやってるから食べにおいでよ~」と元気そうであった。

BOSSにとって不思議な縁のあるこの曲、
歌旅座のレパートリーとして引継いでいきたい曲のひとつですね。

♪ゆらゆらと俺の頬に焼つくあの頃と同じ夕焼け空
 これからも続く夕焼けの歌物語...あゝ、春 夏 秋 と...
7/28 The Friendsで聴けるかも。
以前も紹介したことがありますが、ジェーの泣きの歌声がこちら(タイ語)⇓



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45歳になりました。

大々的に抱負を語る歳でもなく、何を書こうかと考えていたら
「まず写真だ」と先月誕生日を迎えたジュンコから助言をもらう。
少し若いジュンコと父さん、いい写真だったね。

私の出生届は札幌市西区役所に提出したと聞いている。
数年前のコロナ禍、必要な手続きをするため同じ区役所に行った際
「集うな」と言われているにもかかわらず、
どこよりも混んでいる役所の長蛇の列に並びながら
数十年前、父もここに娘の誕生を知らせに来たのだとしみじみ思った。
しかし話を聞けば、出産が札幌だというだけで、
それから二年ほどの暮らしは訓子府(くんねっぷ)にある。

アルバムに残るのはダムの現場にいた父と幼い私を繋ぐ困惑顔のヘルメット写真。
今後の自己紹介は、訓子府町生まれと言うべきなのかしら…。
訓子府公演も久しぶりに開催したいですね。
現場を監督する幼少ナリコ



バイオリンを始めたのは5歳の時。
麻雀始めて60年と言われては敵いませんが、
40年もなかなかだと、ようやく思えるようになりました。
バイオリンを通して出会ったたくさんの方達、多くの思い出に、感謝しています。

本日の宴、ご予約いただいている皆様も、飛び入り参加の皆様も、お待ちしております。
ヴァイオリンを習う幼少ナリコ

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ぎっくり腰の治りかけで迎えるピンクムーンバースデーです。
残念ながら全然ロマンチックじゃありません。

先日、父さんの納骨を終えました。
大好きな愛犬「太陽」と一緒にお墓に入った瞬間だけお日様がキラキラと照った。
直感で「あ、父さん喜んでる」と思いました。

高校を卒業して東京へ行き、最初に父さんが電話越しに教えてくれた『テネシーワルツ』。
この歌はこの旅に必要不可欠だったよ。
ありがとうね。
「面影偲んで今宵も歌う うるわしきテネシーワルツ」

必ず終わりはくる。
果たしてこの心と身体、どこまで使い切れるか。
減りゆくホルモンと筋肉は仕方なし。技使っていかねばですね。やったるで!

80歳を過ぎても台所に立ち続けてる大好きな居酒屋のママに負けないように、
風の中を魂が突き進んでいくように歩いていこうと思います(千鳥足にならないように)
ヨンナナジュンコも、どうぞお楽しみに◎

なんとなく書いておきますが、
好きなものは『北海しまえび』と『サントリー角瓶』です◎
47JUNCO &  Dad

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ロシアの作曲家、ボロディンによるオペラ「イーゴリ公」は、現在のウクライナと、中央アジアの騎馬遊牧民の物語を題材としています。
化学者でもあったボロディンは、あまり多くの作品を残しておらず、このオペラの中の「韃靼人の踊り」は、最も知られているエキゾチックな曲ではないでしょうか。
中央アジアの遊牧民、その暮らしはどんなものだろう…馬のいななき、乾いた草原を走るひづめの音。夜には広い砂漠とゲルで休む彼らを月が照らす。いきいきとした踊り賑やかな市場。
古くはシルクロードの重要な都市として栄えた中央アジア、ウズベキスタンのサマルカンドは、そんな遊牧民と定住民をつなぐ接点となっていたそうです。
「サマルカンドブルー」と呼ばれる青色のタイルで彩られた建築が並び、遠い国だと思わせる魅力があります。
直行便で9時間。札幌から羅臼まで、車で約7時間と思えば近いものですね。
今ステージで弾いている「韃靼人の踊り」は、原曲からの引用はひとつのモチーフのみで、
あとは私とバイオリンが遊牧民かのように、
イメージする景色を巡っています。
公演を重ねて、作った当初より愉しくなってきました。
お客さまにとっても、思い思いの想像が広がる一曲になってほしいなぁと思っています。
そういえば、先月、大相撲春場所で優勝した霧馬山、日本に来る前は遊牧民だったとインタビューで話していました。
大関昇進を願っています!


ナリコ写真
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ごきげんいかがですか。司会太郎です。

11月12日に滋賀県湖南市でスタートした晩秋の西日本コンサートツアーも、
過日の広島県竹原市で幕を閉じました。

そして、居残りの太郎は、歌旅座にとって
難攻不落のエリアと呼ばれている山陰地方に滞在しています。
島根・鳥取・兵庫北部の各ホールに、コンサートのご提案をするためです。

実際にご担当者にお会いすると、
「遠くからよくきてくれましたねえ!」と歓迎ムードのなか、
和やかに会談できます。もっと以前から訪問したかったと思うのでありました。

日本海にほぼ沿って伸びる山陰道は、ただの横移動ではありません。
その前方に広がる風景はとても新鮮。
山から山へとクネクネと曲がる県道も楽しみのひとつ。
もっと深くこのエリアを分け入りたいものです。

鳥取県米子市のホテルに1泊、その近所に「咲い地蔵」がありました。
調べると「咲い」は「わらい」と読むんですね。
そして、この地蔵さんの隣の石碑にはこう書かれています。

「念ずれば花ひらく」。

山陰に歌の花を咲かせに行きます。その日が楽しみ。

それでは、ごきげんよう。

咲い地蔵(鳥取県米子市)
 
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