2026年03月06日 【北の暦】 ♪弥生三月花まだ咲かぬ 春は名のみの雪解け水に 光る蕾は命あたため 北の暦はゆっくり開く 歌旅座を代表する曲、本州公演では「北海道の四季が感じられる」として好評だ。飯塚達央氏の写真とのコラボ映像で春を感じてほしい。 https://youtu.be/H9Q8HsEPL5w?si=dUn2hkvbUAjxoNYt 陽を待つふきのとう (c)Tatsuo Iizuka
2025年01月29日 【海風2025】Boss 40年前の誕生日、六本木界隈でおだっていた。20年前は南の島でタイ人スタッフ、イタリアのゲイカップル、山口ヨシカツにバターケーキで祝福された。(その後ヨシカツは大阪で消息不明になった)2025年「船上のハッピーバースデー」新春公演で関西へ向かう。相棒はアリタと歌旅号「人間万事塞翁が馬」明日はどっちだ!
2024年08月30日 34th Anniversary ディスカバリークリエイティブの歴史【全国方言かるた】:アリー 今年も8月9日がやって来ました。BOSSがディスカバリーファーム社(DF社)を設立して今日で34年を迎えました。パチパチパチ~歌旅座は設立16周年ですが、不肖私アリーも歌旅座結成前より、22年もDF社に関わらせて頂いている次第です。思い起せば入社当初からいろいろなことにチャレンジをさせてもらい一喜一憂、栄光と挫折、頭を巡ります。北海道のお土産品やノベルティ商品などを企画開発するセクション「ディスカバリークリエイティブ」での仕事は刺激的でした。勝負はアイディアとパッションだけ。生みの苦しみはもちろんですが、なにもないところから商品が出来たときの感動はたまりませんね。その中の一つに「CD付き全国方言かるた」の制作・製造に奔走していた頃がありました。最初に作ったの2003年地元・北海道の方言を題材にした「北海道方言かるた」ネイティブな北海道弁の音声を収録した読み手CDと、味わい深いローカル感たっぷりの絵札。楽しみながら作り上げたこのかるたは、地元北海道でなんと3万部を超える大ヒット商品になったのです。そして調子に乗った我ら、「全国各地のご当地商品のモデルケースとして提案できるんじゃなかろうか」と、ニッポン全国の都道府県、特にスタジオもあり方言の喋り手となるタレントさんやアナウンサーさんもいる各地のテレビ局を中心に提案活動に入りました。そうして次から次へ地元に愛される、CD付き方言かるた=「オシャベリカルタ」と名付けられた商品が誕生していきました。製造も海外はタイ、中国、台湾、そして国内と飛び回り、貨物コンテナ船で納品先の一番近い港揚げの手配し、毎回ヒヤヒヤもんでした。当時ブレイクしていたタレント、ルー大柴さんの「ルー語でかるた」、歌で読み手を綴った「童謡かるた」、人気のお笑いコンビ・U字工事の「大好きとちぎかるた」など企画モノもいれると手がけたかるたは31タイトル。今でも現役で売れ続けているカルタもありますよ~ひとつひとつ手に取ると懐かしく、当時に訪れた各地の風景や出会った方々などしみじみ思い出しながら、残っているものを並べてみましたー(画像をごらんあれー)ここで、DF社34周年記念特別企画!「欲しい~」って方がいらっしゃいましたら全国一律2,000円(税込)で限定販売致します!新品のあるもの、ないもの、お譲りできるもの、できないものもありますが、まずはご用命を。まちがいなく地元で愛される方言かるたのはず!?お問合せは、下記へ北海道歌旅座 :080-9534-4178:info@dmj.fmここでしか手に入らない「オシャベリカルタ」シリーズ、どうぞお楽しみくださいm(__)m*オススメは、志の輔師匠が読み上げる「富山弁かるた」、 俳優・西田敏行さんの「ふくしまお国自慢カルタ」、 ミャーが可愛い「名古屋弁かるた」、 我ら「北海道方言かるた」はジュンコが手掛けた絵札も入っています♪
2024年03月11日 【さよなら根室本線】飯塚達央 『北海道・失われる鉄路への鎮魂歌』シリーズ第2弾が完成しました。写真家 飯塚達央氏からの寄稿文です。* * *【さよなら根室本線】飯塚達央2024年3月末に北海道の鉄路がまた一つ消えようとしています。根室本線の富良野ー新得間は芦別岳を背景に、空知川に沿うように走りトンネルを抜け、かなやま湖畔を縫って進む風光明媚な路線です。そこに国鉄時代のディーゼルカーがのんびりと進んで行きます。青いモケット地の柔らかいシートに腰を下ろし、エンジンの鼓動を感じながらの小さな旅も間も無く終焉です。いやあ〜寂しいですね。大阪の鉄道少年だったぼくは、北海道のまるで血管のように張り巡らされた鉄道の路線図に目を奪われ、時刻表をたぐっては、いつか全線走破したいと憧れを抱いていたのでした。まさに国鉄王国だったのですから、かつての北海道は。1996年に北海道に移住して以来、ふるさと銀河線、江差線、留萌本線(増毛—留萌、留萌—石狩沼田)、札沼線、夕張線と立て続けに見送って今回さらに根室本線(富良野—新得)です。かつて札幌と道東を結ぶ重要な幹線だったので、根室本線の廃止にはなお一層の哀愁を感じます。そんな思いで撮ってきた写真を鉄チャン同志の下谷淳蔵さんが作ってくれた音楽とともにご覧ください。高杉奈梨子のバイオリンも華を添えてくれています。5分間ほどの短い旅ですが、根室本線の富良野—新得間のラストラン、目と耳でご堪能ください。
2016年04月28日 憧れのカレーライス 皆様、北埜うさぎでおま。歌旅座ライヴ会場で物販の目玉としてご好評いただいている円山厨房特製カレー。 おこがましい話ですが、このカレーの土台となったのは、不肖ながら私の「うさぎカレー」でございます。 昔々、このカレーを舌も腹も肥えたスタッフにふるまったところたいそう気に入られて、 レストラン円山厨房というお店の定番メニューに、 さらには、レトルトパッケージとして商品化されるという流れがありました。ここに至るまで、レトルトという形態のために多くのプロの手が入り、 以前のような家庭でふるまった調理方法とは似て非なるものではあります。でも、これまでに紡ぎ出してきた楽曲の歌詞たちのように、たくさんの方々に愛されているのは、何ともこそばゆく嬉しいのでございます。とは言え、私自身、カレーはさほど好物でもなく、外食の折にも自ら注文するのは皆無という品。ただ、そんな私にも「どうじても食べたい!!」と願った憧れのカレーライスがありました。多少の脱線をお許し願えれば、そんなカレーの思い出話をひとつ......。20歳代半ば......。ひたすら仕事に突っ走っていた頃。内臓を患い、病院に向かった。医師に説得され、仕事は休みたくなかったけれど、当面の業務を片づけてしぶしぶ入院することになった。 過労とストレス、そしてお酒。 今は人並み程度だと思うが、当時はたしかに周囲から「ざる」と指摘されるのもあながち嘘とも言い切れないほど、イケる口であった。遅れて宴に加わった男性社員が次々とつぶれても平気で呑みつづけ、「よく呑めますねえ〜」と店員から呆れた口調で言われたこともたびたびあった......。そんなこんなで、夏・真っ盛りの入院生活。8人部屋で周りはほぼ年配者ばかり。治療は日々の回診、点滴、安静臥床、そして食事療法。仕事柄、見舞客が多く、狭い病室では迷惑をかけるのでその都度、院内をウロついていたら看護師に叱られてばかりいた。そう言われても寝てばかりでは退屈するので、 同室唯一の20歳の女の子を誘ってみんなが寝静まった頃に外来のロビーに降りて、車椅子を爆走させて遊んだりしていた(ほんま、スミマセン...)。 その罰が当たったのか、数日後、ベッドから起き上がるときにひどいギックリ腰をやらかし、あわせてヒドいモノモライもできてしまった。ある日には、眼帯をして歩行器につかまり、ヨタヨタ歩いていたら お見舞い客に「オマエ、いったい何の病気で入院してんだッ???」って。......ほんまですなぁ、トホホ。いろんな検査も済んで、回診と点滴が終われば、ある程度は自由が利くようになった頃、短時間の外出が許されて近くのショッピングセンターに出かけてみた。真夏。解放感に背中を押され、こっそりと食べたのがアイスクリームぜんざい。 大いに満足して病室に戻った夕方、 ひどくカラダが痛みだし、またまた注射と点滴、増量。そして、そのまま投獄——ではなく、食事指導の面談室へ。徹底した食事療法とは、脂肪ダメ、刺激物ダメ、アルコールダメ。熱〜いモノ、冷た〜いモノもダメダメ。好きなモノ、全〜部ダメッ!!延々と説教、もとい、延々と指導がつづく。「いいですか。極端な話、美味しそう〜って思うだけで臓器が働き出すんですよッ」との言葉に黙って頷けばいいものを、「じゃあ、不味そ〜、美味しくなさそ〜、って思って食べたらいいんですか?」。その後、説教タイムはさらに延長され、毎日の監視の目が厳しくなったのは、ここに書き記すまでもない。今でこそ、病院食はかなり改善され、工夫を加えて美味しくなっているが、当時は本当に「トホホ食」だった。目の前に出されるのは、パサパサになった薄〜い味付けのタラ、ささみ肉。サラダだってドレッシングではなく、薄〜い酢。甘酢ではなく、ただの「酢」。食事は常人食も特別食もいっしょに配膳されるため、同室の患者さんのグラタンやら、唐揚げやら、生姜焼きがうらやましくてならなかった。なかでも、いちばん酷なメニューがカレーライス。廊下から病室まで漂うカレーの香りに包まれながら、味気のないタラの身をぼそぼそと噛みしめる侘びしさの極みよ。斜め向かいのおばあちゃんを羽交い締めにして、カレー皿を奪いたい衝動を抑えるのにどれほどエネルギーを消耗したことか......。しまいには、カレー風呂に溺れる夢まで見たほど。ごくごく普通の、いや、普通以下でさえ、大枚をはたいてでも食べたい憧れのカレーになっていた。後にも先にも、ただひたすらにこれが欲しいと熱意を抱いたのはこの病院カレーだけかもしれない。数値も落ち着き、「あとは通院投薬で」と退院許可が出たのは嬉しかったが、退院してしまえば、あのカレーを口にすることができない。そんな卑しん坊の無念さだけが残っていた。長引く通院生活のある日、親しくなった検査室の女の子が、私のためにその日の献立だった職員用のカレーを1皿、取っておいてくれた。「そんなに美味しくないよ」女の子が笑いながら手渡してくれたお皿の重みを今でも覚えている。ひとくち。うん、おいしくない。辛味もコクもないありきたりのカレーライス。おいしくないよ、うん。だけど、美味しい!!ひとくち食べるごとに、病室で聞いた盆踊りの賑わいや、優しかった同室のおばあちゃん(羽交い締めしそうになってゴメンネ)、回診のたびに「お酒、飲んでませんか?(入院中だっちゅうの!)」と訊いてきた主治医先生の顔が浮かんできては、カレーといっしょに呑み込んだ。この舌が憧れを現実へと戻してくれたけど、「焦がれた思い」というものはそれほど悪くもなく、不自由な入院生活の彩りとして◯◯年経った今でもこうして残っている。きっと、誰にでもそんな、ちょっと苦笑いしてしまうような思い出の味ってあるんじゃないかな。語るほどもない思い出の味話。ここまでお付き合い、ありがとうさんでした。さあ、今日は久しぶりにうさぎカレーでも作りましょ。皆様、どうぞ「円山厨房特製カレー」を今後ともご贔屓に......。 イラスト=ジュンコ・ガブリエル画伯