
「いっしょに飲んでいて、楽しいヤツだったから」。
チープ広石は北海道で活動する女性シンガーJUNCOとCDアルバムを制作し、
ユニットを結成して『北海道180市町村公演』をスタートさせた。
冒頭の言葉は「彼はなぜ彼女を選んだのか」と訊いて、
彼が躊躇なく答えたものである。
つまりは、2人はスタジオに籠もる以前、
何度かは不明だが、杯を交わしながらの面談の機会をつくっていたことになる。
少なくともチープはJUNCOにある種の可能性を認めていたに違いない。
だから、彼女を呼び出した。
JUNCOもチープと出会って新たな才能を導き出してくれることを期待していたはず。
だから彼の呼びかけに応じた。
両人に共通していたのは、酒を飲みながら語らうことが好きだったこと。
いや、もしかしたら、酒を飲むことが好きで、語らいは肴代わりだったかもしれない。
そして、お互いにもっていたであろう警戒心を少しずつ剥がしてゆき、
冗句を言い合って反応を確かめ合い、ひとつの覚悟を決めたのだ。
政治家でも会社員でも、また、出会ってまもない音楽家同士だとしても、
多くの場合、酒席とは古くからそういうものだ。
JUNCO & CHEEPとして最初のステージが夕張市で決定したことに伴い、
2人には腹案があった。『北海道180市町村公演』を開始する記念テーマとして、
夕張を象徴するような新曲を現地で披露することだ。
ただし、「頑張れ、立ち上がれ」といった、エールを送るような内容は避けたかった。
同市での生活経験もなく、まして親戚縁者もいないヨソ者がそう歌っても現実味に欠け、
ただの偽善として感じられてしまう不安もあったからだ。
ゆうばり国際ファンタスティック映画祭は1990年にはじまり、
以来「映画の街」として全国に知られるようになっていた。
同市随所には名作といわれる映画作品の手書き看板が掲げられている。
意を得た2人は映画を題材とした楽曲づくりに取りかかった。
前後して、2人を記録するために、ある男が現れた。
飯塚達央は、JUNCO & CHEEPが最初の舞台に立つ以前から
彼らをレンズ越しに見つめてきた。
また、それ以降も公演会場のどこかで、あるいは自身の撮影スタジオで
複数の写真機を器用に駆使して2人にフォーカスをあわせてきた。
JUNCO & CHEEPから北海道歌旅座の様々な局面に、彼はいた。
実は、渋谷公会堂公演にも彼の姿が確認されている。
が、この時点において、それはまだ遠い未来の話だ。
飯塚達央は関西の生まれで、1996年より北海道に移り住んでいた。
スタッフが道内の写真展やJR北海道の車内誌に彼の名前と作品を見つけた。
さっそく飯塚氏にコンタクトをとった。これは、巡り合わせである。
彼は幸福に包まれる家族やカップルらの人物撮影で評価を高めてきたが、
本領は北海道の自然や寂れた街角の風景などにも発輝される。
JUNCO & CHEEP、そして、夕張という街は格好の舞台だ。
飯塚氏による2人のアーティスト写真は、2009年1月に記録された。
同時に映像チームが組織され、プロモーションビデオの撮影も
夕張市民会館を借り切っておこなわれた。
屋外のロケでは氷点下15度のなかでビデオカメラを回し続け、
夕張の街を散策する壮年の男女の姿を収録した――この2人は誰? 正体を明かすのは野暮。
果たして、楽曲は仕上がり、プロモーションビデオも完成した。
その演奏と映像は、夕張のステージで初披露された。
「名画座」は、当時の彼らが制作中のファーストアルバムに収録され、
その後、数々の公演でオープニングを飾ることになる重要な曲となった。
なお、巻頭の写真は最初期のJUNCO & CHEEPを捉えた、飯塚達央の作品である。
(つづく)
謝意 飯塚達央さんと斉藤康仁さんへ。