うたたび ザ・コネクション


カテゴリ : 吉田会長

ごきげんいかがですか。
司会太郎です。
最近、しばしばここに登場しておりますが、
前回ご案内の円山厨房・特製カレーは好評発売中。
これまでいくつお買い求めいただいたかは、
あらためてお知らせしますよ。



さて、北海道歌旅座後援会の発足から、およそ8年。
会員は全国各地に及びます。

そしてこのたび、歌旅座後援会は、
4月内に大胆なリニューアル
おこなう運びとなりました。
その名もうたたび ザ・コネクションへ!

この件に関して、
吉田聰後援会長(以下、吉田会長)より
みなさまへのメッセージを預かりました。
ただ、会員様以外は、この吉田会長について
おそらく針の先ほども情報をお持ちではないはず。


そこで、2013年以来、
後援会を牛耳ってくださっている
吉田会長の横顔をご紹介いたします。
題して、「歌旅〜人に歴史あり:吉田 聰さん」


よしだ   さとし
吉田 聰さん
昭和22(1947)年10月27日、
北海道長万部町に生まれる。

北の大地で蝶よ花よと育てられ、
幼少のころから生意気な歌謡曲を
口ずさむほど、
歌うことが好きだった。 
当然、音楽の道に進みたかったが
両親の猛烈な反対により断念し、
北海道教育大学に入学。

卒業前の教員採用試験の前日、
友人たちがお酒を大量に持ちこみ、
夜を徹して大いに激励してくれた。
が、翌日の試験会場で試験官に、
「吉田くん、ちょっと歩いてみなさい」
という言葉に従ったばかりに
最上級の泥酔状態と判明、見事に散る。

失意の日々を送ることとなったが、
なぜか千葉県の教員試験に合格。
昭和44(1969)年に結婚した
由美さんと共に北の国から千葉へ。
水が合ったのか、教育界のホープとして大活躍、
当時の生徒たちとは現在までも親交が深く
流山市での歌旅座公演も実現してくれたほど。

その後、涙ながらに北海道へ帰還、
各地を転々としながら教員生活を続け、
ついに校長職まで登りつめることとなった。

退職してからは歌旅座の追っかけをスタート、
ニッポン全国を走り回る。
本人は現在の自身を「サンデー毎日老人」と呼ぶ。

趣味:釣り・ゴルフ・麻雀・酒・読書
得意料理:豚汁 

(以上、吉田会長に近しい人物からのタレコミ情報に基づく)


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昭和44年当時の初々しい吉田聰さん


これで吉田会長の人物像を
把握できたのではないでしょうか。
まさに、人に歴史ありといえましょう。


そして、本年時点の会員のみなさまには、
別途あらためてご案内を差し上げますが、 
吉田会長よりのメッセージをお届けします。


–––––––––––––––––––––––––––––––––
北海道歌旅座 後援会
リニューアルについて

親愛なるみなさまへ


日頃より、北海道歌旅座への力強い応援を頂き、
あらためて心よりお礼申し上げます。
活動開始から12年間、のべ1300公演を展開する
ことができましたが、
これもひとえに後援会員並びに

全国の応援者皆様の熱いご支援の賜物と重ねて
感謝申し上げる所であります。

さて、ご承知の通り、新型コロナウイルスの猛威は
社会活動に大きな影を落とし、
我が歌旅座へも痛烈な
影響を与えてきました。
こんな中でも「前へ・前へ!」の
気概を持って
細心の注意と対策を講じながら公演を

展開して参りましたが、
今もなおコロナ好転の兆しは見えず、

2月の旭川公演以降の計画は
全く立っていない状況にあります。


そこで、後援会としても
手をこまねいてるわけにもいかず、

スタッフと検討を重ねた結果
「変更を含めたリニューアル化」を

進める事といたしました。

これまで歌旅座との交流はスタッフの協力を得て

「歌旅座公式ブログ」を通じて行ってきましたが、
現況を鑑み、
その後の新しい時代に向けての
後援会のあり方を再検討した結果、

うたたび ザ・コネクション」として
生まれ変わった形で

オンライン上に開設する事としました。

事務局には応援者の中から協力を仰ぎ、
これまでの会員に加えて、

非会員の皆様も参加でき、
歌旅座についてはもちろんの事、

その他の多彩なやり取りができる
オンライン上の広場として位置づけ、
これを通じてこれまで以上に活発な

新しい後援会スタイルを目指したいと考えています。

軌道に乗るまでは
様々な試行錯誤が予想されますが、

会員・皆様の積極的なご参加を頂きながら、
歌の種・心の輪を広げて
いきたいものだと願っています。

今後ともご協力の程、
宜しくお願い申し上げます。
 

2021年4月吉日
北海道歌旅座 後援会会長 吉田 聰

–––––––––––––––––––––––––––––––––

以上が吉田会長のメッセージでした。
会員・非会員問わず、
今後は「うたたび ザ・コネクション」を
ご利用・ご愛顧いただけましたら幸いです。


では、「うたたび ザ・コレクション」は、
どこにあるの?
いつ始まるの? 
疑問は、次回、このブログで発表いたします。
どうぞお楽しみに! 


ごきげんよう。
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BOSSが「七人の侍」と称するこの『歌旅座』の最大の強み
は、小回りのきく機動性だろう。声がかかればいかなる地域
であれ果敢に乗り込み、常に全力でステージを展開する。
昨年の公演回数は114回だと聞いているが、移動日等を考えれば
その倍近くは旅をしているはずだ。

常に非常事態と裏腹の旅でもある。「車の暖房が効かなくなり、
冷蔵庫状態で移動してさ…」「メンバーのほとんどが発熱し、
朦朧状態での作業・ステージだったけど頑張ったよな…」などと
後から聞くと背筋が寒くなるし、かなり際どい危機を何度も
乗り越えながらやってる姿に涙ぐましいものを感じる。

旅が始まって10年。通算1000公演を突破し、北海道全市町村
公演の達成も目前に迫っている。大きな意味深い年になるよう、
それをどう力強く表現するか皆で考えなければならないようだ。

心配なのは、メンバーの体様年数(耐用年数)だが、今後も
各地での多くの人々に大きな元気を頂きながら、新しい挑戦を
続け感動のステージを届けてくれることだろう。

終わりになりましたが、全国各地で日々陰ながら力強い応援を
いただいてます数多くの皆様に心よりお礼申し上げます。
と共に今後も厳しく・暖かく『北海道歌旅座』をご支援頂き
ますよう心よりお願い申し上げます。

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北海道歌旅座・後援会会長  吉田聰
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10年目のRUN
「V. S. O. P.」

昨年暮れのこと。
北海道歌旅座BOSSが、
「歌旅座が始まった時の父さん
 (筆者のこと) の歳が、
今の僕の歳なんだよね…」と、つぶやいた。
「そうか…そんなに経ったかい、早いもんだね…」
 
深い感慨に包まれ、無言でタバコの煙を追う2人がいた…。


旅行がてら各地の公演に足を運んでいるが、
行く先々で力強い応援者を生み出し、
温かい声援の輪がどんどん広がっているのを実感できる。

スタッフ自らの涙ぐましいまでの頑張りが
その根底にあることは確かだが、
その街の人々に寄り添って展開されるステージが
心地よい響きとなって観客の心に届き、
共感を呼び起こしているからこそだろう。


ある人が、20歳以降の目指す姿を「V. S. O. P.」と表現していた。
歌旅座も9年の中で得た、
あふれる「V=バイタリティ(活力)」を糧に気概をもって
「S=スペシャリティ(専門性)」、
「O=オリジナリティ(独創性)」、
「P=パーソナリティ(個性)」
を極めるべく
今後も精進してほしいと心から期待している。

さらに走れ、力強く!!


吉田 聰(よしだ・さとし)
  北海道歌旅座後援会 会長
 (北海道恵庭市 在住)

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私が社会人として最初に赴任したのは、
千葉県流山市初石にあるT中学校。
生粋の道産子の自分だが、未知の地に飛び込む不安より
何かありそうな新鮮なワクワク感の方が大きかった。

事実、この新米教師を日々兄貴のように接してくれる生徒たちは
実に可愛かったし、この地に来て良かったと心から思った。

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経験の浅い下手くそな授業を、我慢しながらも
それなりに受けてくれている姿は健気でもあった。
と同時に、「俺はこのままでいいのか」と
反省させられる日々の連続でもあった。

教職を最後まで全う出来たのは、ここでの生徒たちとの
出会いの中で、永遠の命題を突き付けられたに他ならない。
「目の前のこの子達にいい思いをさせたい。その為には
自分はどうあらねばならないのか…」

梅雨に打ちのめされ、ゴキブリと同居し、
食用蛙の「ボッ・ボッ」という鳴き声を夜毎子守歌にした
5年間だったが、ここで得た物は
「古き良き時代」のかけがえのない 私の宝物だ。

その流山で、当時の教え子達が実行委員会を組織し
『9.2歌旅座公演』を実現してくれた。
胸が熱くなる思いで一杯だ。

「会いに行こう、あの愛すべき教え子たちに!!」

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以前、北海道歌旅座のネーミングを「ダサい」と言っていた人がいた。
たしかにある街の主催者は「股旅座」と言いかけたことがあるし、
「どこのドサ回り?」なんて聞かれたこともあるほどだから
そんな印象を与えるのかもしれない。
しかし自分は、このチームの「攻めの意図」が凝縮されていて、
とてもいいネーミングだと思っている。

よく様々な場面で「早くメジャーになればいいね」と言われる。
早く名が広まればいいねという期待を込めてのことだと思うが、
「ありがとう。でもメジャーって何だろうね?」といつも問い返す。
各地の人々に直接向き合って生の音楽を届ける、
それもすべて自らの手によって質の高いステージを創り上げ、
年間百数十回もの公演を展開しているその姿は、
いかにメジャーと言われているミュージシャンであっても
到底足元にも及ぶものではないだろう。



歌番組はほとんどテレビでは見なくなったし、
ラジオから流れる歌からも昔のようなワクワク感がしなくなった。
きっと、歌旅座の汗してる姿を知っているから、
「熱いもの」が感じられないからなのだろう…。



早いもので旗揚げして9年目を迎える。
はたして採算は取れてるのか、いつも心配になる。
「1曲でも当てたら、営業も集客も楽になるのにな…」などと
考えるのは浅はかだろうか…。

この「9年目の挑戦」シリーズで、スタッフ一人ひとりの熱い思いを目にした。
その思いは、今後も数多くの「歌旅座中毒患者(?)」を生み出し、
その方々の支えと共に、今後も力強く邁進していくのだろう。
これから何が飛び出すか多いに楽しみである。

北海道全市町村公演達成も間近に迫った。
後援会としても手をこまねいているわけにもいかないだろう、
と思いつつ脳軟化気味のこの頭では何ら策は思いつかず情けない限りだ。
助言などをいただければ有難い。
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さあ、まだまだ歌旅は続きます。
これからも皆で力強く応援していきましょう。

更に、熱く!!


北海道歌旅座 後援会会長
吉田 聰



 
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