北海道歌旅座コンサートスケジュール

歌旅座テレビ

カテゴリ : 高杉奈梨子

2017年大晦日、仕事の終演は0:30。

帰り道、北海道神宮の前には車のテールライトが赤く長い列をつくり、大晦日の夜には毎年こんな様子なのであろうことを、初めて知りました。

この辺りの道は、札幌の中でも大好きな場所のひとつです。春は桜、夏には紫陽花が丘に広がり、晴れた日の紅葉はきらきらと美しい。

そういえば、道を少し下った辺りの公園で、いつかの夏の終わり頃、“歌旅座女達のピクニック”をしたなぁ。ピクニックなのにウィスキーと電気ブランを持ち寄る人達。
またやりたいなぁ。
ぼんやり思い出した、2017年最後の夜。


高杉家のいずしは、今年はここ数年でもなかなかの美味しさで、
「しっとり具合がちょうどいい」「野菜がおいしい」「やっぱり柚子♪」
などと言いながら、お酒がすすむ。
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おしゃべりできるようになった姪っ子達、バイオリンが気になるようだとその親達が言うので、弾かせてみる。小さな手で楽器を構えている様子は、どの子もとても可愛い。
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穏やかな日々は束の間、新年向かった先は大空町。かつて稚内の日帰り公演、朝5時出発、朝5時戻りの24時間営業ということがありましたが、今回は日帰り21時間。
2018年 走 RUN、ふさわしい幕開けです。

そして、この年末年始に出会った、ある演奏家の方。
楽器に良く合う体つきと、放たれるリズム感。
その姿を見ながら「私もたくさん弾きたい、うまくなりたい」と、心も澄んで走り始めた、いい新年となりました。

皆様、今年もどうぞよろしくお願いいたします!

二年ぶり三度目の喜茂別町公演。
羊蹄山の麓、おいしいアスパラが採れる町!と一目でわかる道の駅の前を通り、会場となる「ふれあい福祉センター」へ。
この度も喜茂別町社会福祉協議会の皆様に主催いただきました。

前回の公演後は懇親会もとても賑やかで、私達も酔いに任せて、ある女性には確か、太郎さんを旦那にどうでしょうか?などという話もしたような…。
ジンギスカンの夜を思い出しながら、公演準備を進めます。

コンサートはおかげさまで会場いっぱいのお客様。
全国を旅するようになった今、その土地ごとの笑い声や握手の感じ、アンケートの印象、会館の方の雰囲気、珈琲やCDの売れ行き等々、違いを感じるのも楽しみのひとつです。

この日は、皆さんとても和やかに聴いて下さって、いいところで自然に響く拍手が、会場を温めてくれました。

アンケートには、チープさんとの公演以来で来ましたという方も。

ちょうど朝、行きの車の中でその時の話をしていました。
最初に喜茂別町にうかがったのは、JUNCO&CHEEPとして各地を回っていた2010年。
「そうそう、そこで初めて情棹(※JUNCO&CHEEP 情に棹させど流されず)をやったんだよ!」と。
アリタさんはこの曲のために練習したバンジョーを初披露。
また、曲の中で鳴らすべく目覚まし時計をセットしたのが、壊れていて鳴らずシーン…というハプニングがあったのも、思い返せば喜茂別だったんですね。 















 


ふいにそんなことを思い出させてくれた喜茂別の一日。
四度目を楽しみに。
ありがとうございました!

教育実習へ通う日々の記憶を辿った「ナナカマド物語 2000」、あの頃から約二十年。

「十年たって変わらないものは何もない。二十年たてば、周りの景色さえも変わってしまう。」

チープさんのドキュメンタリー映画『SAME OLD STORY〜20年目の訪問者〜』の中に出てくるこの一文が、ある小説からの引用だと知ったのは、しばらく後になってからでした。

来年、歌旅座は十年目に入ります。
この十年を切り取ると、変わらない部分も多い。
私達が大事にしていること、関わりを続けてくれている人達、何と言っても、まだ“ただ中”という感覚が強い。

でもどうだろう、2000年の夏から十年を眺めた時には、チープさんと初めて会うことになった2006年の大晦日を境に、私の人生はそれまで想像し得なかった方向へ進んで行ったと言って良い。

そして、この日、同じく初対面であったBoss。
色つきのサングラスをかけて、コマイを勧めてくれました。マヨネーズつけるとうまいぞ、と。
出会ったことのない匂いの人でした。

それから多くの仲間と出会い、人の広がりの素晴らしさを知りました。
そこに時に苦しみや悲しみが生まれることもあるけれど、それを自分達の力にしようと努めることの大切さも、あらためて感じています。

近く訪れる179市町村達成の日は、また次の十年の一歩となるはず。
そんな道の途中の、2017年晩秋。
ナナカマドは葉を落とし、熱燗のおいしい冬を待つ。

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ともに旅する楽器。
1926年に誕生して、まさか日本中をこんなに駆け巡る運命になろうとは。
週末からは道内ツアーです!

こんにちは!ナリコです。
今日、38歳になりました。

振り返ると、20歳、30歳の節目は「なってみたら通り過ぎた」
という感じがするのですが、先月JUNCOが40歳になって、
この40というのは、少し違う気分になるのではないかなぁと想像しています。


あと二年。

結婚するのかしないのか、子供のこと、仕事のこと…
考えても仕方のないことが、心の隅の方で、
小さな木枯らしみたいにくるくると居座っている、
というような日もあったりします。


悩み事と呼ぶには輪郭の曖昧な事柄。

その輪郭が見えない心細さが、40代の景色を眺めようとした時に、
ちょっと果てしないような気分にさせるのです。


それでも有り難いことに、今の私の目の前には、
大先輩方がいつも笑顔で見守ってくれている。
今私達にかけてくれる言葉を、いつかきっと言える人に、
あんな温かな握手のできる人になりたいです。


母が還暦になった時、初めての60代、と言っていました。
初めてのことはなくならない。


まだまだいろんなことが待っているだろうことを楽しみに、
今日から38歳を生きようと思います。


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写真は、祖母が遺してくれたすずの茶筒。
行ってきます、となんとなく触れて出かけることが多い。
たまにゲンキンなお願いをすることもありますが、
いいツアーになりますように、と。


今夜は円山夜想でお待ちしております!

昭和54年、札幌生まれ、ナリコです。
私の約十年間の昭和時代の中に、ここ北海道の記憶ほとんどありません。
生まれてすぐ訓子府へ移り、約二年後東京西新井へ引っ越してからは、
シンガポール、千葉と、平成に変わって間もなく再び札幌へ戻るまで、
父の転勤に伴い道外で暮らしていました
 
バイオリンを始めることになったのは、三歳半から六歳までを過ごしたシンガポール時代。
掲示板に「中古の子供用バイオリン売ります」という貼り紙を見つけた母が、
五歳の誕生日にと与えてくれました
暑くて家の床はタイルだったので、練習の時の足裏のひんやりした感覚が思い出されます
 
 
幼稚園は、日本人がひとりもいないところへ通っていました。
遊びで塗って行った赤いマニキュアを注意されたことを覚えているので、
言葉はわかっていたのでしょうが、心細さがなかなか抜けませんでした。
 
好きだった遊びは、スコールの後に水たまりを自転車で突っ切ること
ライチやランブータンがおいしくて
コンビニによくあるアイスクリームの冷凍ケースに入って売られているのを
スコップみたいなのでざくっとすくって買うのです。
のびのび過ごしました。
 
アルバムを見ると、どの土地の写真も人が多く、
各家族の子供達が数十名集まっていたり、という写真が何枚もありました。
幼馴染みはいないけれど、
その時々でよく遊んでいた友達はご両親の顔も思い出せるくらい、
繋がりを持って賑やかに生活していました
今あらためて思えばそれが、両親世代の築いた昭和という時代だったのかなと思います。


私は、住む場所が変わることにあまり抵抗がありません。
それはやはり、この子供の頃の生活がそう思わせるのでしょう。
おそらく生涯変わらない、自分の感覚のひとつを得た、私にとっての昭和時代
 
 
 
先日、喫茶店で隣の席に、おじいさんおばあさんがお仲間同士でいらして、
「勉強していたら働けと怒られたものだ」
「畑まで軽トラックの荷台に乗って通って働いた
「わらで履き物を編んでもらっていた」
と口々におしゃべりしていて、
最後に「お父ちゃんお母ちゃんに伝えたい、今JRタワーの下でお茶飲んでるよ~って!
と笑っていました。
 
今まさに、昭和の空気を感じながら各地の方々と出会いを重ねている日々、
こんな会話には自然と敏感になります
そして、昭和を恐らくは目まぐるしく生きた両親のことをこんなふうに思い出す頃、
私は平成のこの時代を懐かしく思い返すのかもしれない。
 
三つ子の魂なんとやら
三つ子の魂なんとやら…?(おちょこの中は水)

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