うたたび ザ・コネクション


カテゴリ : 昭和ノスタルジア

このコロナ禍の中、日々のニュースに紛れ
一人の昭和を代表する女性歌手が亡くなりました。
和製R&Bシンガーと謳われた『弘田三枝子』さん。
デビューはなんと14歳!ちゅ、中学生!?
皆さんの耳に焼き付いているであろう独特の歌い
回しをした『ヴァケイション』は15歳の時!
(レコードセールスは20万枚!)
声を楽器のように操る彼女のセンスはやはり
スゴイとしか言いようがない。リズム感も抜群。
ジャズ畑で生きてきたからこそのノリは、多くの
人々を魅了したに違いない。
そして、フランス人形のようなあの大きな瞳も。
晩年は整形の代償でかなり雰囲気が変わって
しまっていたけれど、くりくりの瞳はずっと
そこにあったように思います。
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1969年に発売された『人形の家』
レコード大賞歌唱賞も受賞。
今までの曲調とは打って変わって、ねっとりと
女心を歌う姿は、またファンにとって『新しい
弘田三枝子』を見たのではないでしょうか。
作詞をしたなかにし礼さんも、これまたすごい
言葉を紡いだもんですよね。
愛され、捨てられ、忘れられ、ほこりにまみれた
人形のように部屋に佇む女…。ぎゅんぎゅんきます。

この曲もまた、私たちの公演で演奏する機会が
多いのですが、私が歌う ということは
やっぱりどこかに模写を入れたくなってしまう、
というのが心情なのです。
サビのあの鬼気迫る歌い方は絶対そのまま
取り入れたい。
さらには、弘田さんの歌っている口元も。
分かりやすく言いますと、ところどころ
『上の歯に付いたなにかを上唇で取っている』
かのような動きをするのです。
私が歌う時、もしその動きをしていたら
歯になにか付いている訳ではなく、
『完璧な模写』なのだと理解していただけたら
嬉しいです。
言葉にすると一見バカにしてるのか?と
言われそうですが、ところが違うのです。
同じ音を伸ばす時、その動きをすると音色が
微妙に変えられるのです。
声を楽器のように操っていた弘田さんだから
こそ、こだわっていたんじゃないかと思う
技法だととらえています。

輝いていた昭和の名曲達の中にあるエネルギー
を受け取り、繋いでいくのが私たちならば
敬意を持って曲に向かいたい。
そんな想いです。

60年間歌い続けた一人の素晴らしき女性歌手
に今一度、尊敬の意を込めて
私たちが渋谷公会堂で公演をした際のこの曲を
お届け致します。



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第二次世界大戦が終戦して間もなく、ある曲が
誕生した。菊池章子さんが歌う『星の流れに』

従軍看護師だった女性が東京に戻ると、そこは
焼野原。全てを失った彼女は夜の女として働き
始める。そうすることでしか生きる術がないと
いう『やりきれなさ』を歌ったものだ。
戦争の犠牲となった女の悲しみが詰まった一曲。
yorunoonna


あえて歌詞は載せませんが、三番の内容は
当時同じ思いで生きていた夜の女性たちの心を
涙で濡らしていたことだろう。
昔『パンパン』という言葉があった。
幼い子供から見れば、赤いルージュに派手な
ワンピース、タバコふかして口笛吹き、色目を
使って路上に立つ彼女たちをきっと蔑んだ目で
見ていたに違いない。『生きるため』とは言え。
それでも彼女たちは、荒んだ心と侘しさの中で
生き、赤い唇をクッと噛みながら夜風に吹かれ
瓦礫の中を歩いた。
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『こんな女に誰がした』
この一言に、行き場のない思いが集結している。
誰かやなにかに気持ちをぶつけられるうちは
まだ幸せってことでしょうか。

公演でたまに歌うこの曲。
今回のこのコロ期間を『糧』とするならば
『やりきれなさ部門』で言えばなかなかの表現力
が身についたのではと思います。
私は、ちあきなおみさんが歌うものが好きです。
景色を思い浮かべさせる歌い手さんはやっぱり
すごいですね。
もし演じるならば、緑魔子さんがいいな。

酒と涙でぼやける街並に
口笛が鳴り響く。
明日は七夕(道南以外の北海道は8月7日)。
彼女たちは星の彼方で
大切な人と巡り会っているでしょうか。




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今日は友達の15回目の命日。今頃どこにいるのやら。
その子と昔、『オーバーオールの会』というのを
作り、10人くらいオーバーオールを着たヤツラが
集まり呑みあかす、という妙なことをやっていた
ことがあります。最近懐かしくなってしまって
43歳にもなって着てみたりしてるんですが、思い出
が胸いっぱいにこみあげてきて涙が出そうになります。
酔っ払った勢いで、当時の友人に電話して話をすると
まぁた涙が出てしまう。困ったもんです。

テネシーワルツ。
パティ・ペイジが歌っていたこの曲は、確か
『大好きな人が自分の友人と楽しくダンスを
踊っている』状況を悲しんでいる歌だったと記憶
しています。(きっと奪われたのでしょう)
私がこの曲に出会ったのは江利チエミさんの歌う
日本語ヴァージョンでした。

『男女がダンスを踊る』ことが当たり前だった時代。
日本だって、スナックに行けば頬を寄せ合う
『チークダンス』だのルンバだジルバだとクルクル
回っていたのだから。私の記憶では、20年前くらい
に姿を消していったでしょうか。
大好きな人が他の人と踊り、二人だけにしか聞こえ
ない声で会話をする…むぅ…嫉妬もするでしょうね。

公演の時は必ず歌ってきたこの曲。
実は私の心の中に浮かぶのは友達だったりします。
『別れたあの子よ 今はいずこ 呼べど帰らない』
この歌詞が友を思い出させるのです。
この11年間、約1200公演で
『面影しのんで今宵も歌う
うるわしき テネシーワルツ』は私の中の鎮魂歌
になっていきました。

アンケートに、この曲を聞いて涙が出ましたと
書いてくださる方がとても多くいます。
形は違えど、皆さんの大切な方を思い浮かべながら
決して忘れることのない思い出に身を預けて
もらえていたのならこんなに嬉しいことは
ありません。

余談ですが、このコロ期間に全国の皆さんから
沢山お手紙をいただきました。
文字から想いが伝わってくるこの感じは
生のコンサートを届ける時の感覚と少し似ている
気がします。胸にジワっとくるんです。
本当にありがとうございます。

アジトの傍で、玉のような花を見つけました。
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よく見ると、小さな花が集合してひとつの大きな花
になっている。
今回お送りした『北の暦文集』のように、
全国の皆さんの想いが集まりひとつになると
美しい花が咲くのだなと、これまたしみじみと
涙が一粒。
早く、お会いしたいですね。
なにせ私達は、生きているんですから。





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